瀬戸大橋、塩田、久米通賢さん〔4446〕2015/06/18
2015年6月18日(木)小雨
今日は坂出。香川県坂出市。昨日、高松で業界の寄り合いと懇親会を済ませた後、マリンライナーで移動してきました。弊社西日本事業部にて打ち合わせ。そして、坂出泊。
今朝は4時半から、てっぺんにお洒落な結婚式場がある、聖通寺山という山に駆け上がってきました。てっぺんからは瀬戸大橋が綺麗に見えるろう、と思いまして。
もう、瀬戸大橋が開通してから27年ですか。駐車場脇の、たぶん瀬戸大橋の展望台としてしつらえられたベンチの前には木々が成長し、見晴らせんようになっちょります。
結婚式場からは、たぶん、絶景。早朝、5時頃なので、もちろん閉まって入れませんでしたが。
写真は、坂道をちょっと下ってきた所から撮影したもの。雨に煙る瀬戸大橋。手前に番の洲。工業地帯として埋め立てられた番の洲。ここの、火力発電所には、追手前小学校の修学旅行でやって来たことを覚えちょります。
さて。
この山、あちこちに銅像が立っちょりますね。麓近くに塩竈神社さんが鎮座ましますが、その駐車場の奥の目立たない山裾にも、ちょんまげ姿の銅像。銘板を読んでみますと、「久米通賢翁」とあります。存じ上げない。
で、塩竈神社さんにお参り。
坂出と言えば塩。入浜式塩田。で、その塩竈神社は、文政11年(1828年)に、現在の坂出市築港町に創建され、天保年間に中央町に遷座、昭和38年に、聖通寺山に遷ってきた、とあります。塩田の発展を加護してくれる神様でしょう。
その塩竈神社の境内社に、坂出神社というお宮さんがあります。お参りして、由来を読んでみますれば、なるほど。色んなことがわかりました。そうやったのか。
坂出神社の御祭神は、事代主命、久米通賢命、松平頼恕命。駐車場奥の銅像の人物が、神様として祀られちゅうではないか。由緒を読んでみますれば、坂出の恩人なんですね、久米通賢さん。
この人物、坂出界隈の海岸が塩田に適していると喝破。で、高松藩に坂出墾田を建白、「私財、借財と全智を傾けて」坂出墾田二百数十町を完成させたのであります。完成したのは文政12年(1829年)。そうか。塩竈神社は、その工事中に、塩田事業の成功を祈願して建てられたものなのか。
この墾田のうち、百十五町歩が、塩田。久米式塩田と呼ばれ、そこから産出される塩は、坂出の特産品となって村と藩を富ましました。日本一の製塩地、坂出の誕生。
その時、久米通賢さんの建白に耳を傾け、皆の反対を押し切って塩田事業を推進させたのが、高松藩9代藩主の松平頼恕さん、という訳だ。この英主も、自らの納戸金を、工事に充当させちょります。
そして、二人は、昭和9年に、塩竈神社境内坂出神社で神様になったのでありました。
この山からは、久米式塩田のあった海岸を眺め、そんな歴史を学ぶことができます。
てっぺんの結構式場の横には古墳。積石塚古墳という、4〜5世紀頃の古墳。この山の南西方向には青ノ山。2013年3月7日に駆け上ってご紹介した青ノ山のてっぺんにも古墳群。
こないだ、高知出身の筒井功さんという方が上梓された「青の民俗学」という本を読みました。「青」という文字のついた地名は、古いお墓を意味することが多い、という趣旨の本。面白い。日本各所の「青」地名と墓所を関係を論考され、その中に、坂出、青ノ山のことも書かれちょりました。古墳群がある青ノ山は、古くからの、葬送の山であった、と。前回駆け上がったときは、そんなこと、全然考えちょりませんでした。