野田の田んぼ〔4381〕2015/04/14
2015年4月14日(火)曇っちょります
今朝は高知。昨日の最終の飛行機でモンて来ました。やっぱし高知はエイですな。落ち着くことこの上ない。
さて。
昨日ご紹介したのは、高輪台から三田の方へと下る聖坂。洪積台地の端っこの坂道。
東京の街は、洪積世に形成された台地が江戸湾に突き出した、その先っぽにあります。なので、都心部は、実に坂が多い。台地と沖積平野部分の間が坂になる為。しかも、台地は、谷によって開削されて複雑な地形となり、ウネウネとした都心部ができあがっちょります。徳川家康が江戸の街をつくった時、その地形を利用し、台地の上、尾根の稜線部に道を通し、その道沿いに有力者の屋敷や社寺を、谷底低地に庶民の街をつくった、という話は、何度も書いてきました。山手台地と下町低地。
で、東京には坂が多い。
台地と低地の境目の坂。三宅坂。富士見坂。九段坂。道玄坂。
一昨日泊まっちょったホテルの前は柘榴坂。品川の方へ下るとくらやみ坂、などと言う怖い名前の坂も。本当に坂の多い都市、東京。
振り返って高知を見てみると、街中に、坂が無い。もちろん、遠くへ行く街道の、峠へ登っていく道は坂道で、大坂とか根曳坂とか、久礼坂、焼坂などなどたくさんありますが、高知の城下にはほとんどありません。三宅坂みたいに、坂自体が地名になっちゅうものは、まず、無いと言うてかまんでしょう。
では、何が多いのか。
高知の城下は沖積平野で、しかも、古代には海であった場所。なので、島が多い。今は陸地の小山になっちゅう葛島、田辺島、比島、洞ヶ島などなど、全部、昔は島であったので、現在はそのまんま島が付いた地名となっちょりますね。
南国市には中島とか常通寺島とか、国分川の河口部の三角州を彷彿とさせるような地名もあります。
高知にも洪積台地はあります。山田とかのある長岡台地や、野市の台地。長い丘なので長岡である訳ですが、その台地と沖積平野との間の坂道に、ナントカ坂、とかの名称で有名なのは無いですね〜。街中ではないので。
その他、高知で多いのは「野」。
野市も「野」に立つようになった「市」が元になっちょります。ここは、南国市野田。野の田んぼ。向こうに介良富士や鉢伏山が見えますが、その麓には介良野、伊達野、西野野、と、野のつく地名が並びます。
あとは「田」。ここは南国市野田。ここを北へ行くと山田で、高知市内へ行けば金田、新田、神田、などなど。
昨日の聖坂を下ったところは三田。慶応大学がある三田。東京にも「田」のつく地名はありますな。神田もそうですし。
三田は、中世の頃には「武蔵国荏原郡御田」。御田で、三田。神社仏閣の田んぼを御田と言うので、成り立ちは神田と同じようなものかも知れません。
地名は、その土地土地の成り立ちや地形によって特徴付けられます。ので、地名を眺めるだけで、都市の成り立ち、地形が想像できたりするのであります。東京に「坂」が付いた地名が多いのは、台地の先っぽに作られた都市であるからなのでありますね。