ひまわり乳業本社前植え込みの露草〔437〕2004/06/26
2004年6月26日(土)雨
やっとこさ、梅雨ですね。今日は朝からしっかりと雨が降り続きよります。植物も、梅雨の時期にはきちんと雨が降ってくれんと辛いんでしょうね。今日は心なしか元気に見えました。
さて、昨日、鏡川の土手に咲く「紫御殿」という露草科の花をご紹介しましたので、今朝はそのご本家、「露草」を撮影してみました。
これ、どこだと思います?
高知市与力町のひまわり乳業本社南側の植え込みなんです。2階へ上がる外階段の下のスペースを利用して、本社の事務員さんたちがお世話しよります。色んな花をどわっという感じで植えてありまして、なかなかに上等です。
この植え込みの西の端にありました。露草が咲いちょりました。
露草は、露草科ツユクサ属の花で、朝露が葉っぱに美しく乗っかる頃咲き始めて、午後にはしぼみますね。ちょと象さんの顔に似た形の可愛らしい花ですが、これ、青い大きめの花びら2枚と小さくて白い花びら1枚でできちゅうがですね。
ここ与力町は、以前は「南与力町」という名称でした。藩政期、土佐藩の家老乾家の与力(家老付きの武士で、庶務一切を取り仕切る)が多く住んでいたので、そう呼ばれたのだそうです。城下町中心部の武士の居住するエリア「郭中(かちゅう)」には、この南与力町の他に、北与力町、本与力町がございました。
1669年の寛文年間の城下地図を見ると、この、ひまわり乳業本社の辺りは、長谷川さんという方と川村理右門さんという方が住んでおられた様です。1801年、亨和年間の地図では、安積次郎左エ門さんと郷七郎左エ門さん、そして幕末の地図では、安積清蔵さんと細木六エ門さんという方が住んでおられます。この幕末の地図を見ますと、ここから西へ2軒目の角を南へ2軒下ったところに「後藤」という家があります。明治の元勲後藤象二郎さんの家ですね。また、同じ角を北へ3軒上ったところに「乾退助」という家が書いてあります。言うまでもなく板垣退助さんの家ですね。そこから2軒東に「片岡」さんの家があります。これも、言うまでもなく、板垣と並ぶ自由民権運動の支柱で、衆議院議長を長く務めた片岡健吉さんちですね。皆、幼なじみで、この界隈でよく一緒に遊んでいたのだそうです。これだけ家が近くで年齢も近けりゃ当然ですね。