三好町昼間、40数年前〔4314〕2015/02/06
2015年2月6日(金)晴れ
今日は仕事で徳島県に来ちょります。
朝、国道32号線を走って阿波池田を通りよったら緊急地震速報。徳島県で地震、との警報が携帯電話に表示されました。車を道路脇に寄せましたが、そんなに揺れゆうようにもない。
暫くして、徳島県南部の牟岐町で震度5強の地震があった、とのニュース速報が流れました。
同じ徳島県でも、西部の阿波池田界隈では、ほとんど揺れを感じることもなかったようです。けんど、ちくとビビりました。
写真は、東みよし町。平成の合併前は、三好郡三好町。この川は、吉野川へと流れ込んでいく支流。その川に架かるJRの鉄橋。この左側が小高い平場になっちょって、そこに旧三好町の中心があります。昼間。三好郡三好町昼間という町。
以前にも一度書いたことがあります。
ここ昼間には親戚んちがあります。小生、子どもの頃、夏休みや春休みなどのたんびに、ビッシリ泊まりに来よりました。泊まりに来ると、10日以上も滞在したりしよりました。ちょっと年上の従兄がおりまして、そのお母さんが兄弟のように扱うてくれました。居心地が良かったのでありましょう。親に言われても、なかなか高知へ帰ろうとせんかった、そんな小学生でした。
近所には同じ年齢くらいの子供がたくさん居て、一緒に遊びました。この川も当時は見事な渓流で、この川で遊ぶがが楽しゅうございました。実家に居たらできんような自然体験を、この昼間の地でさせてもらいよったという訳です。
その従兄は鉄道が好きで、小生が鉄道が好きになったのも、その影響があったがかも知れません。この鉄橋から右へは、線路はかなり急勾配の上りになっちょります。昔は、蒸気機関車を連結して苦労して上っていきよったと言います。この先が箸蔵駅。そしてどんどん上って秘境の坪尻駅。で、トンネルを抜けて香川県へとつながる土讃線。
ここ昼間の最寄りの駅は箸蔵駅。各駅停車で高知からやって来る場合もありましたし、阿波池田駅まで急行あしずりで来ちょいて鈍行に乗り換えて来る場合も。当時の鈍行は、ヂーゼル機関車が引っ張る茶色い箱型客車のもの。動力がないので、停車するとシーンっと静まりかえります。
客車の乗り降りするとことに扉はなく、動き始めてからでも乗り降りできました。最後尾の後ろ側の連結部分は開いたまんま。そこから、過ぎ去ってゆく汽車の後ろの線路を眺めるのが好きでした。完成したばかりの大杉トンネルで、最後尾から線路を眺めた記憶は、今も鮮烈に残ります。
ここ、昼間へ来ると、そんな、40年以上前のことを思い出します。今は風景もかなり変わってしまいました。当時、小生を自分の子供のように育ててくれた叔母ちゃんに、心から感謝せんといけません。ありがとうございました。
この鉄橋の風景はそのまんま。昔と同じ姿で立つ鉄橋。電化されてないので、無駄な電柱などがないシンプルな鉄橋。
時効なので言いますが、あの鉄橋、当時、歩いて渡ったことがあります。脇の保線用の通路を通って。渡りゆう最中に汽車が来て、警笛を思い切り鳴らされたことを、昨日のように覚えちょります。
そんな、夢のような、懐かしい風景。