上岡八幡宮さん、狛犬、弘化年間、嶋内さん〔4283〕2015/01/06
2014年1月6日(火)曇っちょります
雲が多く、気温は下がっちょりません。暖かい朝になりました。
ここは今朝の野市、上岡八幡宮さん。参道入り口の、狛犬のところから撮影してみました。夜明け前で、お月様も月に隠れ、真っ暗にして静謐な境内。
小生の足元、とっと向こうに、拝殿の灯りがちょっとだけ見えております。野市の洪積台地の端っこに鎮座まします上岡の八幡様。参道は、この手前が台地と沖積平野の境目の坂になっちょります。その坂にカメラを置いて撮影したので、山の斜面に鎮座まします拝殿も、こんなに写ってしまいました。
狛犬。
これはもう、日本のどこのお宮さんへ行っても、参道の両脇を固めてくれちょります。阿と吽。口を開けちゅう阿と、キッと口を結んじゅう吽。あうん。
「ん」は発音しづらいので「うん」にしちゅうがでしょう。なので、「あ」と「ん」。日本語の五十音でもそうですが、元々はサンスクリット語の梵字からきちょって、口を開けた一番最初に出る音「あ」と、口を閉じる際に一番最後に出る音「ん」で、宇宙の始まりと終わりを表現する、ということは、なんとなく直感的にもわかりますよね。なんという宇宙観。古代の民は、現代の我々よりずっと、キチンと、真面目に、聡明な頭で、哲学的思考をしよったがかも知れない、などと昨今の政治情勢や政策などを眺めながら思ってしまいます。
左手手前の狛犬。吽形の狛犬。台座には、「上岡村 嶋内利左衛門 八月十五日」と刻まれちょります。この八幡様境内で、色んなものにご寄進者の名前が刻まれちょりますが、圧倒的に多いのが島内さん、嶋内さん、嶌内さん。いずれにしましても、しまのうちさん。
この界隈、しまのうちさんがたくさん。島内神社も鎮座まします。
物部川の流路の関係で、その中洲、島みたいになった所に住んだからでしょうか。今度、上岡に住む高校の後輩の島内くんに訊いちょきます。
さて。この狛犬と対になって、向かって右手に阿形の狛犬が鎮座しちょりますが、その台座には、年号が刻まれちょりました。弘化年間であったことは記憶しちょりますが、何年なのか、文字が擦れてちょっと見づろうになっちょります。いずれにしましても、弘化年間。1844年から1847年。天保の後。天保の庄屋同盟などがあったように、そろそろ徳川幕府がフラフラヨロヨロし始めた時期。海外の動きも気になり始め、浦戸湾には砲台が築かれて弘化台と呼ばれるようになったりした時代。
ジョン万次郎が満14才で遭難漂流したのが天保12年。1841年。ホイットフィールド船長に可愛がられ、その年にアメリカに渡り、色んな学問を修めたのが天保の終わりから弘化にかけて。
で、捕鯨船に乗ったりして活躍しますが、ジョン万の日本への気持ちは強く、なんとか帰りたいと思い、ゴールドラッシュで沸く西海岸へ渡って金の採掘に従事してお金を貯めた、と言います。
弘化年間。そんな時代。天保6年生まれの龍馬は、弘化年間と言えば8才から11才。乙女姉やんにこじゃんと鍛われよった時代ですな。
その向こう、小さく見える吽形の狛犬は、万延元年にご寄進されたもの。1860年。その向こうの鳥居は嘉永4年に建てられちょります。1851年。
こうやって見てくると、幕末、世情が不安定になってきた時代のものが多いですね。ここは、戦争末期に米軍の空襲に遭うちょりますので、よく残りました。あの鳥居は、その際に破壊され、修復されたもの。
この横に、バラバラになった文久年間の灯篭のパーツが転がっちょります。これも、空襲で破壊されたものでしょうか。
様々な時代をくぐり抜けて、静かにたたずむ地域の守り神。