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今日のにっこりひまわり 毎日健康社員日記

満ちてゆく風景〔4282〕2015/01/05

満ちてゆく風景

2015年1月5日(月)晴れ!

暖かい朝。夜明け前の空には満月が輝き、星も煌めいておりますが、それでも暖かい冬の朝。今日は大潮。
大潮は、潮の満ち引きの幅が大きい訳で、満ちたり引いたりする際に、潮の流れが急になったりします。なので大潮。

ここは、鏡川河口近く、潮江橋北詰。この橋は潮江橋。午前4時過ぎの、静かな潮江橋。この写真は、シャッターを30秒間開放して撮影しました。静かな静かな川面に見えますが、この30秒間で、水面はかなり変化しちゅうがです。丁度、満ちてきている時間帯。ここを通りかかった時には、この手前に左側から小川のようになって水が流れ込んでいるところでした。カメラを構えておりましたら、どんどんと水が増え、アッと言う間に、さっきまで川原であった場所が水に沈んでゆきます。

ここは河口近くの汽水域。浦戸湾の満ち干が、そのまま川の水量となります。今日から明日にかけて、潮位の差が一番激しくなるのでありますね。
今晩0:27分に、浦戸湾の潮位は-5cm。明日朝7:06には165cm。干満の差、170cm。6時間半で、それっぱあ潮位が変化する訳なので、その潮の動きは肉眼でもハッキリと判ります。今は、潮の満ち干なんぞ、漁師さんか釣り人くらいしか気にせんかも知れませんが、かつて大自然とともに生きてきた人類は、生活の一部として干満を捉えておったことと思います。干潮満潮の時間や、その潮の高さ、そして潮の流れ。

ここは唐人町。対岸は潮江。潮江村は、塩田に始まり、藩政期には新田が開発され、潮江用水も引かれて農地として拓かれてゆきました。その潮江に、明治の中頃、池知春水氏が畜舎を建てて乳牛の飼育を始めました。その牧場は、明治17年にオーストラリアから導入した乳牛を高知城の北側で飼いよったものを、移設してきたもの。
高知城の北側の牧場は、今の、県警本部のある界隈。子どもの頃大川筋に住んでおった寺田寅彦さんの文章にも、その乳牛の風景が出てきます。子供の頃の追想として、明治40年の「ホトトギス」に掲載された文章から。
「帰り途に旧城の後ろを通った。御城の杉の梢は丁度この絵と同じようなさびた色をして、お濠の石崖の上には葉をふるうた椋の大木が、枯菰の中のつめたい水に影を落している。濠に隣った牧牛舎の柵の中には親牛と小牛が四、五頭、愉快そうにからだを横にゆすってはねている。自分もなんだか嬉しくなって口笛をピュッピュッと鳴らしながら飛ぶようにして帰った。」

潮江に移設されてきた牧場は、池知春水さん逝去後も子息、池知速水さんに受け継がれ、乳牛改良事業を推進されたと言います。場所は、梅ノ辻のちょっと南側であったと土佐史談会のTさんに聞きました。
昭和20年の空襲で、その牧場は焼けてしまいましたが、現在の高知県の酪農乳業の基礎を築いた功績は忘れられるものではないのであります。

何故、こんなことを突然書くかと申しますれば、こないだの1月2日に、池知さんの名前を突然お聞きしたから。高校の同窓会で、東京で暮らす友人が、同じ職場に池知さんという方が居た、と言います。なんでも、ひまわり乳業のホームページのコラムに、自分のご先祖様のことが書かれちゅう、とおっしゃりよったとのこと。それは池知春水さん、速水さん親子で間違いない。そうか、そんな不思議なご縁があったのか。

ちなみに池知春水さんの父は土佐勤王党党員の池知重利さん。維新後は古勤王派を率い、自由民権運動に対抗する保守派の重鎮として、活動しました。春水さんもその流れを汲み、乳牛の事業をしつつ国民派の政治家としても活動。で、速水さんは、事業家として成功しつつ、濱口雄幸の参謀としても活躍、戦後は高知新聞の第5代社長となった人物。
その係累の方と、友人が東京で同じ職場であった、という、世の中はどこかで繋がっている、という話。

潮がどんどんと満ちていく風景を目の当たりにして、なんとなく、新年のスタートに相応しいと感じて、撮影した風景。新年。満ちていく、風景。


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