筆山、森の小径〔4178〕2014/09/23
2014年9月23日(火)晴れ!
今日は暑いくらいのお天気になりました。日蔭に入ると風は涼しいですが、お日様の下はなかなかの暑さ。今日が運動会やった学校は、ちくと暑いですが、絶好の運動会日和としたもんでしょう。今年の不安定なお天気から言えば、まったく、よく晴れたもんです。
小生も、今日はJr.2号の運動会。とは言え、途中抜け出して筆山。お彼岸の用事もございましたので。
さすがにお彼岸。高知市のお墓のメッカ、筆山は、善男善女でいっぱいでした。皆さん、暑い暑い言いもって、ご先祖様に手を合わせておりました。お墓のメッカ、というのも変な言い方ですな。メッカはイスラムの聖地ですきんね。
しかし、筆山には、古いお墓から新しいお墓まで、ホントにたくさんの墓所があります。潮江山と言われた昔から、高知の城下に住む皆さんにとって、筆山はご先祖様が眠るのに適した場所と思われてきたのでありましょう。お城下を眺めることができる、高台。
山内の殿様は、山の北麓、菩提寺の真如寺のしゅっと北側の山裾に、代々の墓所を築きました。その周辺には、山内家ゆかりの墓所や、重臣たちの墓所。少し離れると、様々な人々の墓所が広がる筆山。以前、土佐の豆腐造りの元祖、秋月長左衛門さんの墓所を探しにたつくりよって、指がヘチ向いたのは記憶に新しいところです。
土佐の土は酸性土。なので、土葬された場合、早い段階で土に戻ってしまうそうです。なので、筆山には、過去からの、土に戻った人々がたくさん眠っているのでありますね。いたるところ、無縁墓も転がる筆山の斜面です。
藩政期の頃は、今みたいな鬱蒼とした山ではありませんでした。間違いなく。
山のどこから眺めても、高知の城下が見晴らせたかもしれません。樹々は、貴重な燃料でしたし、山は農業にとってかかせない土地。今も、山中をたつくると、古い石垣がたくさん見かけられます。これは、山で畑や棚田をつくっていた証拠。また、そこに人々も住んでおりました。
筆山の北斜面は、お城下に面しちょりますので、防衛上、住居などをつくらせたりはせんかったと思われます。なので、墓所や農地やったがでしょうか。
この写真の場所は、筆山の車道を上り、奥宮正明さんの墓所の手前を右手に折れて筆山霊園の方へと向かいまして、途中から左に折れて山道を登っていった場所。
なんか、この、懐かしくなるような谷筋の風景。たまりませんね。森の小径、といった風情。
彼岸花が美しく咲き乱れます。この上にも、藩政期から現代に至るまでのたくさんのお墓が、段々にならんでおります。
お彼岸。
年に二度だけ、懐かしくなるような賑わいを見せる。谷筋の風景。