高知市と南国市、土佐電鉄〔4177〕2014/09/22
2014年9月22日(月)出勤時は小雨
今朝4時、出勤する頃は、小雨が降りよった高知市内ですが、夜明けとともに雨も上がり、東の空は随分と明るうなってきました。お天気は回復していくがにかありません。
今朝は会社で一仕事済ませ、高知駅へ。今、特急南風の車内で、このにっこりを書きよります。日帰り広島出張。
会社から高知駅へ向かう途中で撮影したのがこの写真。手前に、土電の「一条橋」電停。向こうに「清和学園前」電停。たぶん、日本でも有数の、駅と駅の間が短い場所。短い橋ひとつ挟んで両側に電停。これはなかなか不思議な光景ではあります。何故、こんなに近い電停が存在するのか。以前、考えてみたことがあります。例えば、高知市と南国市の境界になっちょって、その為にひとつの電停を二つに分ける必要があったのではないか、などという妄想。
しかし。
Google Mapを見てみると、それは全然違うことが判明。なんと、一条橋も清和学園前の、両方高知市なのでありますね。漠然と、この両電停の間が境界とばかり思いこんじょりました。で、一つ東の明見橋電停も、さらに、その東の長崎電停も、全部高知市。
勘違いするのは、明見(みょうけん)という電停名ですな。その電停の南側の集落は明見。南国市明見。明見川が境界になっちゅうがですね。
この部分で、高知市は、盲腸のように東にせり出しておるのでありました。なんと小篭通電停のところまで。この辺の境界設定の方法は、小生にはわかりません。嘗ての集落の境界や、属した村によるのでありましょうかね。
向こうの清和学園前電停は、もちろん高知市にあります。しかし、清和学園は、南国市。明見橋電停は高知市ですが、明見は南国市。ああ。なんだかとってもややこしい。
今朝は勉強になりました。
さて。
土佐電鉄も、もうまあ「とさでん交通」になります。路面電車での営業距離では日本一。西は伊野、東はごめん町までつながる、便利で快適な土電の電車。
今のかたちになるまでには紆余曲折がありました。が、最初、伊野まで延伸したのは、伊野の製紙業における材料を運搬したり、製品を運搬したりするのが重要な役割でした。なので、いち早く、田んぼを真っすぐ突っ切って桟橋まで線路を引いた訳です。東も、物資の輸送が主たる役割でございました。道路が整備され、トラックが輸送の花形になってから、ヒトを運ぶのが主たる業務へと変遷していった訳です。
四国の、他の都市にも私鉄があります。
例えば、こないだもご紹介した伊予鉄道。明治の、かなり早い時期から鉄路が引かれました。街の中心と、道後、三津の港を結んじょりまして、道後温泉への県外客の集客が、かなり大きい目的であったことがわかります。
香川県もそうですね。コトデン。これは、もう、文字通り、讃岐の金比羅山への参拝客を輸送するのが大きな目的。近鉄が伊勢神宮への参拝客を、名鉄が熱田神宮への参拝客を運んだように。
高知には、そんなに有力かつ有名な神社仏閣や、道後温泉のような圧倒的な観光地はございませんでしたので、鉄道の敷設は、物資の輸送が主たる目的やった訳ですね。
それにしても、この、20mくらいしか離れていない二つの電停。
謎です。