月見山のレッドウッド〔4176〕2014/09/21
2014年9月21日(日)薄曇り
ここは月見山。夜須町と香我美町の間、北から南に突き出す連山の先っぽ。今はどちらにしても香南市ですが。かつて、もっと海水面が高かった時代には、太平洋に突き出す岬の先っぽであった、月見山。
戦国期、この山には姫倉城というお城がございました。南北朝時代から、熊野新宮の社地であり、戦国期になって安芸氏の勢力下に置かれました。安芸氏の武将、姫倉右京が本拠とした、姫倉城。戦国期の城ですき、石垣などはない、しかし防御に優れた山のお城であったと思われます。海に突き出しちゅうので、軍事的にはかなり重要やったでしょう。
その、南北朝時代に先立つこと100年ちょっと。承久の変が勃発。で、後鳥羽上皇が鎌倉幕府軍に制圧されて隠岐へ流されたりした際、土御門上皇も土佐国、幡多郡へ流されました。そして、土佐から阿波へと帰る途中、ここで名月を眺め、都を偲んだという言い伝えから、月見山となったそうな。
そんな月見山。
写真の、左上が詰の段。てっぺん。戦国山城の望楼が建てられちょったでしょうか。その数メートル下にも広い段。ここに、館が置かれたでしょうか。
この段に、レッドウッドという巨木が屹立しちょります。これは、縁あって、アメリカから送られてきて、植えられたもの。昭和50年頃のことにかありません。この樹は、世界一背が高くなる樹木として有名なもの。アメリカ、ヨセミテ公園にあるものは、120mにもならんとする高さにかありません。どんどん成長するのか。
昭和50年に植えられて、もうすぐ40年。こんなに大きくなりました。しかし。
5本の木のうち、2本が、こないだの台風で倒壊してしもうたのであります。昨日ご紹介した、九反田公園の巨木と同じ。
何十年も屹立して来た巨木をなぎ倒した、こないだの台風。いかに凄まじかったかがよく判ります。
ところで。昨日、大豊町にできた「おおとよ製材」さんの見学に行っちょりました。高知の林業復活のきっかけとなる期待が大きい、おおとよ製材さん。今まで見て来た、既存の製材さんとは桁が違う大きな製材工場で、色んなお話を伺いました。
で、日本の杉は、外材よりも柔らかく質が落ちるので、建築材として使われなくなり、価格が安くなってしまったという話。
日本の杉は成長が早いので、その分、堅く締まらない、という話です。40年〜50年で大きくなり、伐り出せるということは、樹木が柔らかい、ということ。
そんな意味では、この、月見山のレッドウッドも建築材には適してないのでありましょうか。表皮が厚いので、火事に強く、シロアリにも強いとは書いちゃありますが。
ロシアや北欧の樹木は、寒いが故に成長が遅く、130年もかけて成長したものを伐り出すので、堅く締まったものになる、という話ですね。しかし、工場長さん、乾燥の仕方を工夫するなどして品質を向上し、輸送費がかからないメリットを活かして国産杉材の価値を高めて行くことは可能だ、と言い切ります。
CLTという、非常に強度のある集成材で建てた社員寮も見せて頂きました。夢の素材、CLT。法律が整備され、これを汎用的に利用できるようになったとき。木造の超高層ビルも、まったくもって不可能ではありません。10階建てくらいなら、今でも技術的には簡単と言います。まだ、コストが少し高いようですが、この辺をクリアして行けば、日本の林業復活のきっかけになるかもしれない。
そうなったとき。
山が、再び金を産むようになり、若者が山に戻って来て、中山間が、賑わいを見せるようになる。すると、必ず、出生率が上がる。出生率が異常に低い東京から、出生率の高い中山間への若者の人口移動が進むと、人口問題が解決に向かい始める。そんな夢を、最近、見ます。
月見山の、倒れたレッドウッドから、話が逸れてしまいました。
昨日、今日と、台風で倒れた巨木の話題になりましたので、日本の国土の将来のことを考えてみました。