櫻井跡〔416〕2004/06/05
2004年6月5日(土)またまたド快晴!
今朝も素晴らしいお天気。良く晴れて朝の風が心地よいですね。その、爽やかな風の吹く鏡川沿いをたつくった後、高知城前から追手筋、桜井町、菜園場を通り抜けて走って来ました。
藩政期、山内のお殿様は、参勤交代の際には高知城追手門を出て追手筋を東進、山田橋の番所を抜けて上京していったのであります。その途中、高知城の外堀である横堀川を渡ったところに、1800年、井戸が掘られました。
10代藩主豊策(とよかず)に仕えた奉行「馬詰親音(いまづめもとね)-2003.10.15にっこりひまわり[182]参照」が作らせた「揉貫き井戸」ですね。
この横堀の東の界隈は藩政期に急速に宅地化が進んだニュータウンだったのですが、潮田の埋立地だったため、井戸の水質が極めて悪かったそうです。住民は、この北を流れる江の口川の川水を飲料水としていたほどでした。そこで、親音は、1800年に近江の国から4人の井戸工事職人を連れて来て土佐で初めての揉抜き井戸を掘らせたのでした。結果は大成功。きれいな水が湧き出て、お城下を大いに潤したそうです。その井戸の脇に桜の木があったことから「桜井」と名付けられました。
ひまわり太郎、ここまでの話は知っちょりまして、桜井があったと言われる桜井橋の東へは何度も足を運んだ事がありましたが、今朝は少しびっくりしました。車道の真ん中に、ご覧の「櫻井跡」と刻まれた石が埋め込まれちゅうではありませんか。迂闊な事に、今まで気付きませんでした。車道の真ん中ですので、交通量の多い昼間にはなかなか気付かないオブジェですね。大きさは10cm四方くらいしかありません。ここに、その井戸があったということでしょうね。橋のたもとに記念碑みたいなのがありますので、そこが井戸の跡と思うちょりました。この銘版、地元のヒトもあまり知らんと思います。
いやいやなかなか勉強になりました。