土佐橋の有馬神社と墨雲洞〔415〕2004/06/04
2004年6月4日(金)素晴らしい快晴!
今朝も素晴らしい快晴のお天気になりました。気持ちえいですね。
今朝は、はりまや橋の少し東、「土佐橋」の袂に来ちょります。昭和30年代までは堀川が流れ、その上に架かっちょった橋ですね。その堀川は埋め立てられ、ご覧のような植え込みのある細長い公園になっちょります。その北側、電車通りとの間には店舗が立ち並んじょったんですが、高知市による再開発で昨年くらいに立ち退きになりました。高架の遊歩道計画などがあったみたいですが、財政難で計画は見直しを迫られちょります。
さてさて、この土佐橋の南にはご覧のような祠が祀られちょります。これは「有馬神社」の祠。安徳天皇二位禅尼を御祭神とすると、県の神社台帳には記載されちゅうそうです。明治3年の神社改正調書には「浦戸町有馬神社但し旧名水天宮」とあって、水天宮として付近の住民に尊崇されちょったことがわかります。水と火の守り神ですね。昭和20年7月4日晩の空襲までは立派な社殿が建っちょりまして、縁日も開かれて賑わいよったそうです。昭和57年に近在の有志によって地域並びに消防の守り神として復興されました。素晴らしいですね。祠の横の建物、高知市消防団南街分団の建物で、消防車の車庫にもなっちゅうがです、実は。
このすぐ南に、幕末明治の文人画家で、坂本龍馬にも大きな影響を与えた「河田小龍」の誕生地があります。このたび、その誕生地であることを記念する「墨雲洞」の碑がこの写真の場所に建立されたのでありますが、再開発工事期間中は、その碑を彫ってくれた石材屋さんに保管されちょります。
どんな再開発になるか気になるところですね。やっぱし川にしましょうよ、川に。ひまわり太郎の持論であります。