高知城杉の段、避難訓練〔4155〕2014/08/31
2014年8月31日(日)晴れ
子供達にとって、たぶん、一年で一番切ない日、8月31日。このにっこりでも何度か書いてきましたが、夏休みが終わる日の切なさは、大人になった今でも鮮烈に覚えちょります。
今年の夏休み。高知では、ホントに夏らしい日は一日も無かったかも知れません。将来、あの2014年の夏は酷かったね〜、と語り草になるような、そんな8月やったかも知れません。それとも、これから毎年こんな異常な気象が続くのでしょうか。それだけは避けてもらいたいと願ってやみません。
明日が9月1日。今から91年前、大正12年9月1日のお昼前。関東大震災が起きました。それにより、9月1日は防災の日ということで、その日界隈に防災訓練が行われるようになりました。特に、東日本大震災の後は、防災に対する意識も桁違いに変わり、それまでは何となくヒトゴトであった防災が、自分のこと、家族のこと、街のこと、会社のこととして認識されるようになってきたのは、皆様も同じやと思います。
高知市中心部。高知市では、高知市の各地区に「自主防災組織」が立ち上がり、住民と行政が一緒になって防災に取り組む活動を進めてきちょります。しかし、市内中心部には、なかなか難しい問題も多く、具体的な進みが遅かったのでありますが、最近になってやっと、高知街、南街、北街という中心部のエリアに自主防災組織ができてきました。
東日本大震災を見ておりますと、その、地域の中での住民同志の結びつきがとてつもなく大切であることがよくわかります。しかし、都市中心部は、どうしてもそんな結びつきが希薄になってくる。そこで、町内会や商店街などの単位で、お互いに助け合いながら災害に備える、という動きを加速せんといかんなってきちゅうのでありますね。
そんな街中自主防災組織ができて、今年、初めて、合同の避難訓練が行われました。とは言え、まだまだ浸透せず、参加者もそんなに多くはないですが、最初の一歩としては、非常に有意義な避難訓練になったと思います。高知市の職員さんたちが事務局になってやってくれた訳ですが、動くのは街の人たちなので、初めからそんなにスムーズには行きません。色々と課題もみつかりましたが、なかなか意義のある訓練でした。
市内中心部、はりまや橋小学校校区には、いくつもの、避難指定ビルがあります。大地震が発生した場合、避難できるように高知市と協定を結んだビル。今日は、そんな避難指定ビルに担当者と判子を置き、スタンプラリー形式で、9時に想定された地震発生から、避難指定ビルをまわって、最終的にここ、高知城杉の段まで逃げて来る、というもの。スタンプの数、つまり、廻った避難指定ビルの数によって、業者さんからの提供による防災グッズをプレゼントする、というものでした。
18ヶ所の避難指定ビルをすべて廻って来た、という猛者も十数名いらっしゃり、なかなかのイベントにもなりました。弊社も、参加者全員へのリープルを協賛。かなりの運動にもなったので、皆さん、美味しそうに飲んで下さっておりましたね〜。
街中での防災意識の高揚。これは、重要であり、盛り上げて行くのがなかなかに難しい課題。第一回のこの訓練をブラッシュアップし、住民が、防災意識を高め、逃げるのに慣れるよう、毎年続けていかんといかんですね。いや、勉強になりました。
ところで。
以前、誰かが、大地震は冬の寒い時にくるもんぢゃ、てな話をされておりました。確かに、昭和の南海地震が12月21日、その前の安政南海地震が太陽暦で言えば12月24日、宝永の南海地震が10月28日。阪神大震災も、東日本大震災も、冷やいときでした。
しかし。
歴史を繙いてみると、もちろん、暑い最中の大地震もかなりあります。何より、関東大震災は今の季節ですきんね。油断しちゃあいけません。
今日は、かなり本番を想定され、携行品も本番ならこんな物しか持てんろう、という想定で持ち物を決めちょった方や、ヘルメットをかぶって遠距離歩いて来られちゅう方もいらっしゃいました。こんな意識の差が、いざというときの差になるがかも知れません。