ご先祖様を尊敬する〔4141〕2014/08/17
2014年8月17日(日)晴れたり曇ったり
それにしてもお天気がハッキリしません。昨夜も結構降りました。どうなっちゅうがでしょうか。高知は、今月になって、ずうっと濡れたまんまのような気がします。
一昨日のにっこりで、県境、国境のトンネルのことを書きました。あれを書いた後、松山から旧街道に沿うルートで高知へモンて来たがです。愛媛県の久万から東へ入り、途中で、国道494号線に合流して池川(現仁淀川町)に抜けるルート。池川の街から、昔の街道は大崎へと下っちょったと思われますが、一昨日は旧吾北村の方へと抜けて帰ってきました。
道は狭いですが、国道33号線を通るのと、それほど時間は変わりません。距離は、こっちの方が近いかも知れませんね。いや、結構快適な道やったのでビックリ。
でですね、問題は、池川から吾北の小川へと抜ける道。国道439号線。途中、新大峠トンネルという長い長いトンネルを抜けます。2002年に開通した、2928mの長いトンネル。その立派なトンネルが抜けるまでは、大峠をくねくねと上っていき、大峠トンネルというのを抜けておりました。
今も、その道もトンネルも残っておりますが、新大峠トンネルが抜けてから、通る車も非常に少ない。で、一昨日は、その旧道を久々に通ってみた訳ですが、その旧大峠トンネル。
今まで通ったトンネルの中で、小生にとって一番怖いトンネル、大峠トンネル。長さは905m。昭和48年に開通とあります。
以前通ったときもそうやったですが、池川側の入口には霧が立ちこめ、ものすごい雰囲気。いつも、黄泉の国の入口のよう。長いので、向こうの出口はまったく見えず、照明もこじゃんと暗い。
車で通り抜ける訳ですが、もう、その雰囲気がたまりません。後部座席に誰か座っちょったりしたら嫌なので、バックミラーを、よう見ません。もし、途中でパンクでもしたら。想像するだに恐ろしいトンネルでした。
もし、今、あのトンネルを歩いて通れるヒトが居たら、とてつもなく尊敬します。
さて。全然話題が変わります。
ここは筆山。中腹の、筆山文化会館のちょっと下。ヘアピンカーブになっちゅうところの、道路のちょっと下。以前にも一度、遠景をご紹介しました。奥宮正明さんのお墓。
奥宮正明さんは、藩政期前期〜中期、土佐藩の役人として活躍。代官などを努めながら、その職業による資料収集力などを活かして、様々な土佐の歴史文化を書物に纏めました。土佐国蠧簡(とかん)集は有名ですが、中でも、宝永四年(1707年)の宝永南海地震による土佐国の被害を纏めた「谷陵記」は、南海地震の貴重な記録として、今も、地震津波対策に利用されております。文書整理能力にすぐれた、有能かつ好奇心に溢れた魅力的な人物であったことが窺い知れますな。
その奥宮正明さんのお墓がここにあることは、近年知りました。
墓石の文字を見てみます。正面。奥宮藤久郎正明、奥宮藤久郎妻 墓、と刻まれちょります。側面を見ると、このお墓が建てられた日が刻まれちょりました。宝暦六年九月と見えます。1756年。
奥宮正明さんは、享保11年(1726年)に亡くなっちょりますので、その30年後、子孫によって建てられたのでありましょう。子孫にとって、正明さんは、やはり、偉大なご先祖様、ということでしょう。
お盆は、そんなご先祖様が帰ってくる日。ご先祖様と、ゆっくり、語り合うことができましたでしょうか?