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物部川本流東遷説〔4140〕2014/08/16

物部川本流東遷説

2014年8月16日(土)降ったりやんだり

8月16日。69年前、終戦の翌日。このにっこりで何度も取り上げてきましたが、戦争は終わったというのに、どこかの誰かが、住吉海岸の震洋隊に謎の出撃命令を下し、引火爆発事故を引きおこして、111名の、死ななくても良い命が散華した、という事件が起きました。震洋は、ベニヤ板でつくられ、爆弾を搭載して敵艦に体当たりする特攻兵器。生還を期していない、片道のみの特攻兵器。そんな狂気の武器が、なんとか使われずに終戦を迎えたというのに、その翌日の事故。
その命令の出所は、須崎であったとも呉であったとも言われます。

毎年8月16日、その、慰霊碑の立つ現場で、関係者を迎えて慰霊祭が行われてきました。しかし、生存隊員も高齢化し、また、ほとんどの遺族が県外ということもあって、出席者も減少。70回忌を迎える今年、関係者を招いての式典は、最後とする、という記事が今朝の高知新聞に載っちょりました。大爆発で歪んだ器具が、その慰霊碑のそばに置かれ、事故の悲惨さを偲ばせてくれます。本日午後3時から、最後の慰霊祭が執り行われます。
地元では、これからも、8月16日に慰霊をつづけていく、とのこと。
忘れてはならない戦争遺跡のひとつ。

ここは今朝の物部川。会社の東側の堤防から撮影してみました。大雨と雷の最中の撮影。今朝もガイに降りました。今年の夏は、キレイに夏晴れ!という日がホントに少ない。台風が行ってからも、何やら、雲が多く断続的に雨が降るようなお天気が続きます。

そのせいで、ここ、物部川の水量も、ずうっと増えたまんまの状態が長く続いております。
普段の物部川は、対岸近くを流れてきて、その右手のところからこちらに流れ下り、手前の堤防沿いを南へと流れていっております。しかし、今は、本流は対岸沿いをそのまま南流。こちらへ流れてきゆうのは、その分かれ。左手の、中洲になっちゅう部分は普段はこちらの陸地とくっついちょりますが、増水して中洲になりました。

今月に入って、ずうっとこんな感じ。もちろん台風の日などは、中洲も消え、全部が川になっちょりましたが。

興味深いことに気付きました。
長い長い時間、この状態が続いたら、川底の土砂が流され、地形が変化してくる。すると、もし水量が減ったとしても、その掘られた地形に水が流れ込み、更に川底が削られて、いつしかそちらに本流が移る、ということも起こり得る。
そうやって、太古の昔から流路を変化させてきた大河、物部川。往古、長岡台地の南東裾に沿い、南西に向かって流れていた時代。香長平野を南進し、その途中から西進して介良で浦戸湾に流れ込んでいた時代。今よりかなり西を本流として南進し、現在の前浜、切戸の辺りに流れ込んでおった時代。その自然堤防上に、弥生の大集落が形成されました。その流れは中世まで続き、河口部にラグーンが形成され、その周辺に都市が発達しました。

藩政期に入り、野中兼山さんによって現在の流路に固定。氾濫を繰り返しても、基本的に、その流路は変わらず、今に至っております。
堤防に挟まれた中で、自然の力によって自ら流路を変えている姿を見ると、かつて、どんどんと流路を変えてきた大河、物部川の悠久の歴史をイメージできるではありませんか。

南西に向かい流れていた川が、少しづつ南へまっすぐ流れるように変化してきた歴史。地球の運動によって地層が隆起したり沈降したりしていった、その結果ながでしょうか。流路が東へ東へと移っていった歴史には、何か理由があるのでしょうか。
この手前、つまり西岸近くが本流であるのに、今や、あの向こうから東岸沿いをまっすぐ南流するのが本流に見え始めた風景を見ながら、なんか、そんなヤチもないことを妄想してしまいました。物部本流東遷説、という朝っぱらから何の根拠もない妄想です。


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