開成館址、三傑会談記念の地〔399〕2004/05/19
2004年5月19日(水)雨
今日は高知にもんちょります。
明後日くらいには台風2号が接近してきそうな気配。気を付けましょうね。
さて、今朝は、ひまわり太郎の家の近く、何度かご紹介した九反田東公園(くたんだひがしこうえん)です。ここは、幕末の慶応2年、土佐藩によって「開成館(かいせいかん)」という施設が創られた場所。殖産興業、富国強兵、西洋式科学技術導入の総合施設として、長崎や大阪などへの物産の販売などを積極的に行いました。その、物産の売りさばきや海外貿易のために長崎や大阪にこの開成館の出張所がつくられ、「土佐商会」と称しました。
そこの実務で活躍したのがご存じ岩崎弥太郎。開成館解散のあと、大阪の業務を引き継いで自分の商売とし、それを母体として大きくしていったのが三菱財閥なんですね。
開成館の事業が廃止されると、ここは迎賓館「九反田寅賓館(くたんだいひんかん)」となります。明治4年、薩摩の西郷隆盛は薩長土三藩の協力で朝廷の軍隊を創ることを提案、そして、西郷隆盛、大久保利通、木戸孝允がこの九反田寅賓館へはるばるやって来て、板垣退助や福岡孝弟らと会談しました。で、親兵献上の内談をここでまとめ、決定せられたのであります。
写真右の碑は昭和5年に建立されたもので、「開成館址 西郷木戸板垣三傑会合の地」と刻まれちょります。大久保利通の名前が入ってないのが不思議ですよね。
この場所は、その後、明治7年に板垣によって設立された立志社の施設となり、「立志学舎」の校舎にもなりました。
後年、板垣退助の邸が移築されたこともあり、中央に「憲政之祖国」という大きな記念碑が建立されちょります。