北の空〔3981〕2014/03/10
2014年3月10日(月)晴れ
良いお天気ですが、山の方を見るとうっすらと雪。雪です。まだ、山に雪があるうちに、四国山地の主脈のどこかに登りに行ってみんといけません。
そんな訳で、氷点下ではないものの、まあまあ冷える朝。
写真は、今朝4時半過ぎの野市、上岡八幡宮さん。参道から北の空を見上げてみました。写真下の樹々は八幡様の鎮守の森。その上に煌めく北の星。
北斗七星がよく見えます。その柄杓のカップ部分を右に伸ばしていくと、北極星。いつも変わらず、あの場所に輝く北極星。太古の昔から、地球上北半球のどの地域でも、特別の思いが込められてきた北極星。人間の生活にとって、天体の動きは生活に密接に関係してきます。特に、大自然の中で食料を求め、自然の中で生活をしよった時代。夜空を見上げ、色んな情報を得たのは、ある意味当然のことでもありました。
そんな星々の中で、唯一、同じ場所で輝き続ける星、北極星は、それぞれの地域のそれぞれの民族に、「不変」ということでのそれぞれの特別な意味合いが持たされてきたのでありましょう。
ここ土佐でも、縄文の昔から、あの星を眺めて何かを考えていたでしょうか。弥生時代、このしゅっと西側の田村で大規模集落を営んだ人々は、あの星に特別な思いを込めたでしょうか。
北斗七星や北極星と言えば妙見信仰。妙見菩薩として尊崇されてきた信仰は、明治維新後の廃仏毀釈運動などの影響で、今は星神社となっちゅうケースが多いのはご承知の通り。その妙見信仰、元を辿れば古代バビロニアに行き着く、という信仰ですが、日本に入ってきたのはいつ頃なのでありましょうか。それまでに日本にもあった、北斗七星、北極星信仰に、仏教や道教が習合した妙見信仰が入ってきたのでありましょうか。
北斗七星をあしろうた剣が「七星剣」。四天王寺の、国宝に指定されちゅう七星剣を始め、日本には7振りしかみつかってない「七星剣」。そのうちの1振りは、四万十市間崎の一宮神社にありました。1988年にその存在が明らかになり、橿原考古学研究所が調査して、7世紀頃の七星剣であるとしましたので、もう大変。それはすごい。
ところが、1992年になって東京国立博物館が、13世紀以降のものである、との見解を発表、それに対して橿原考古学研究所が反論する、という事態に発展しました。未だ、結論は出ちゃあせんと聞いちょります。
高知県内、いたるところに星神社。つまり妙見さま。
八幡さま、妙見さま、弁天さま(厳島神社)などなど、今も地域の皆さんに大切に尊崇される大切な大切な場所が、たくさんあります。
星と言えば、若田さん。いよいよ、国際宇宙ステーションで、船長としての任務が始まります。若田光一さんは、The Man。以前にも書きましたので、覚えちゅう方もいらっしゃると思いますが、若田さんは、若い頃からNASAではThe Man、つまり、男の中の男、と呼ばれた人物。人間的魅力が素晴らしい、という評価。通常なら、国際宇宙ステーションの船長に日本人がなるなどということは考えられない人事ながやそうで、空前絶後、つまり、これからも有り得ないだろう、と、親しい宇宙関係者の方がおっしゃっておりました。
この空で、若田さんの船長としての活躍が始まります。