江戸時代、明治時代、現在の築地場外〔3968〕2014/02/25
2014年2月25日(火)晴れ
今日は東京。朝1便の飛行機でやって来ました。こないだうち、2回上京して、2回とも大雪に見舞われましたが、今回は大丈夫。晴れちょりますし、結構暖か。もう、春に向かうのでありましょうか。しかし、道端には大雪の痕跡。カチカチに凍った雪が積み上げられちゅうところもあります。
東京に着きまして、まずは築地。いや、食べに行った訳ではなくて、お仕事。ホントにお仕事です。お仕事ですが、せっかく築地ですき、お昼ご飯は、食べてきました。
それにしても昼築地。今まで、朝の7時以降に築地へやって来たことはなかったのでありますが、昼はすごいですね〜。観光客さんで溢れかえる昼築地。
ここは、場外のもんぜき通り。いつものきつねやさんにも、すごい行列ができちょりました。
で、写真は、もんぜき通り。手前のiPhoneに表示されちゅうのは「今昔散歩」という無料アプリ。これ、今朝、電車の中でインストールしてみたがですが、面白いですね〜。現在の地図に合わせて、明治時代の地図、そして江戸時代の地図が表示されます。
今表示されちゅうのは、明治時代の築地界隈。真ん中のピンク色の部分。ここが、西本願寺別院。今もある西本願寺別院は、ピンク色の、向こう側の四角形。手前のピンクの長方形部分も門跡と呼ばれる西本願寺別院の社地で、賑わいよったエリアにかありません。
その、手前のピンクの長方形部分が、今は築地の場外になっちゅうという訳です。本願寺の東側の堀川、手前の東西に流れる堀の痕跡は、今もハッキリ残っちょりますね。
手前の緑色の部分は、今は築地の市場で、当時は海軍大学校。その左手前、現在の国立がんセンター界隈は海軍軍医学校。江戸時代、この界隈は全部、大きな大名屋敷でした。
つまり、大雑把に申しますと、江戸時代に大名屋敷であった場所は、海軍などの施設になり、その後、市場になった訳です。築地本願寺は、明治期も今も寺院ですが、門前の寺に付属した繁華街は、今は築地場外の繁華街になっちゅうという訳です。なるほど。
場内と場外では、全然タテリが違う訳だ。
今日は、この場外界隈、あんまし人で溢れちょったので、場内へ食べに行きました。久々の豊ちゃん。あたまライスとポテトサラダを食べてきました。
あたまライスとは、カツ丼の、具の部分とご飯の部分が別々になっちゅう定食。おいしゅうございました。お昼前の場内。豊ちゃんのお客さんは、市場で働くヒトだけでした。隣に座ったガタイのエイおにいちゃんは、あたまライスのご飯大盛りに、ポテトサラダの大、そしてカキフライのおかずを頼んで、ガツガツと食べておりました。さすがの食べっぷり。築地ヂモティは違います。
それにしてもこのアプリ、秀逸です。無料やのに。東京出張は、これでしばらく楽しめそうです。何の気なしに通る風景が、江戸時代にはどんな風景であったのか。坂道やカーブが、実は、なんらかの痕跡であったりすることが一目瞭然なわけですき。
さあ、今から九段下で業界の寄合い。そして小江戸、埼玉県の川越で仕事してきます。充実の東京。