国道32号線と県境〔3949〕2014/02/06
2014年2月6日(木)北四国は雪
今朝、香川へ来ました。早い時間に会社を出て、国道32号線。香川支店で用事を済ませ、愛媛の方へと進みゆううちに、雪になりました。高知の方はどうなんでしょうか。結構、しっかり降りよります。この後、松山支店で打ち合わせをしちょいて高知へイヌるがですけんど、雪は大丈夫なのか。高速道路は止まらないのか。ちょっとだけ不安。
今朝、国道32号線を通って香川へ向かう際は、全然雪になりそうな感じではありませんでした。ここは土阿国境。高知県と徳島県の県境。右下を吉野川が流れます。
土佐から瀬戸内、本州方面へと向かう道は、明治までは、土佐北街道、つまり、本山から立川、笹ヶ峰を越えて馬立、川之江というルートでした。これが一番最短ルート。明治も後半になって、国道の整備が進み、この吉野川沿いルートが作られました。昔の街道は、山越えの最短ルートが望ましかった訳ですが、川沿いの、高低差の少ないルートに道をつくるようになったがは明治になってから。
調べてみますれば、「四国新道」として丸亀〜高知〜松山の道が整備され始めたのが明治19年。で、高知県内が竣工したのが明治27年とありますき、この場所が、高知から県外へ行くメインルートの県境となったのも、その時かも知れません。
手元に、高知の写真家、島内英佑さんの「セピア色の吉野川」という写真集があります。このにっこりでも何度かご紹介しました。50年間の、吉野川沿いの風景を定点観測したもの。その中に、この、国道32号線の県境の写真があります。一番古い写真は、昭和33年3月30日のもの。もちろん未舗装で、3月も終わりというのに、まだ雪が残る寒々しい風景。県境に立てられた小さな角材の杭に、「高知県本山土木出張所 修路工手 小笠原鶴市」と墨書きされちゅうがが面白うございます。
同じ場所で、昭和53年8月19日に撮影された写真では、この右手、道路沿いの駐車場みたいになっちゅう場所に「ホテル国境」があります。
ありましたありました、ホテル国境。懐かしい。その頃にはもう、道路は舗装され、現在と同じ広さになっちょりますね。当時も、高松までは83kmで池田までは28kmの表示。意外なことに、当時も今も、距離が一緒。香川県内、色々とルートが変わっちゅうと思いますが、この表示は変わっちょらんがですね。かまんがでしょうか。
この国道32号線、高知自動車道が開通してからは、通行量も減りました。通常のメインルートは高速道路になり、そのコースは、また、笹ヶ峰ルートに戻りました。長大なトンネルを抜いて。
そんな訳で、最近、この国道を通ったことのない高知県人も多いがやないでしょうか。
しかし、なかなか良い道です。県外に用事がございましたら、ぜひ、早起きして、通ってみることをおすすめします。美しい吉野川。古い吊り橋。急峻な四国山地の山々。心洗われる風景が万華鏡のように現れる、そんな国道32号線。
こんなところに道をつくった明治の先人に、驚くとともに感謝します。山越えに道をつくるより、たぶん、かなり大変やったでしょう。土讃線もそうですが、限られた土木機械しかない時代、ほとんど人間の手によってつくられていったであろう、渓谷の道路、鉄道。