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愛宕を守る、中堤〔3878〕2013/11/27

愛宕を守る、中堤

2013年11月27日(水)薄曇り

昨日、秦史談に松本紀郎さんが書かれた文章から、色々とお届けしました。この秦史談という小冊子、高知市北部の秦地区の方々が中心になってつくっておられまして、もう、何十年も続いております。すごい。で、今日も、その松本さんが、秦史談のアーカイブからご紹介した記事からお届けしましょう。

ここは吉田町。久万川の、愛宕大橋と一ツ橋の間の南岸。ここに、吉田公園という公園があります。

以前、久万川の蛇行の話を書きました。2011年9月19日のにっこりです。かつての久万川は、今の一ツ橋の辺りから北に流れ、ゆっくりと右カーブを描いて、今の愛宕大橋のもうちょっと東で左カーブして、現在の久万川の流れになっちょったのでありました。昭和30年頃まで。それを、現在のように真っすぐに付け替えたという訳です。まるいかたちの四国銀行のところから岸之上工務店さん方向に、カーブを描いた水路がありますが、あれが、その旧久万川流路の痕跡。

さて。まだ、久万川が北に蛇行しちょった時代。
一ツ橋から現在の愛宕大橋の間に、中堤と呼ばれた土手が構築されちょったそうです。当時の地図を見ると、現在の流路のちょっと南に、クネクネと堤があります。松本さんが抜粋しちゅう、秦史談からの転載。松本さん、勝手に転載して申し訳ございません。

中堤は自転車で行ったら、荷でも積んじょったら越えるにはぞんがい、うるさかった。昭和九年の室戸台風のとき、水泳パンツで、荷物を頭の上へくくって、吉田町と変電所の間を泳いだ。女学生はよう渡らん。けんどやっぱり奇特な人が居る。ちゃんと舟を、田舟をだしてやっていた。(秦史談67号)

車力に皆、大きなコエタゴ四個積んじょった。中堤の上り下り、これはえろうございました。それでも一人で、ようよう引っ張り上げました。(秦史談117号)

こんな感じ。と、言うことは、昭和10年頃、秦泉寺で牛を飼い、愛宕の踏切のしゅっと北側で牛乳の瓶詰めをしよった小生の家は、毎日、その中堤を越えて牛乳を運びよったがですな。この辺、父に訊いちょったら良かった・・

さて。その中堤は、何故構築されたのか。それは、愛宕の町の治水の為でしょうねえ。もうひとつ秦史談からの転載。

中堤より北、角崎(注 愛宕小橋付近)までは道路がやや低く、夏の雨期には毎年二、三回久万川がはんらんしますが、その度毎に今の吉田町あたりの水田は水浸しになり、道路の上では60〜70センチ位の深さとなり、通行人は難儀したものです。
特に登校の中学生は愛宕小橋の辺りで靴を脱いで素足となり、当時の学校制服であった紺の袴も脱いで首のあたりに巻き付け、衣類も腰のあたりまでからげ、パンツを水に濡らさないよう、用心しながら歩きました。また、女学生は海老茶の袴を脱いで高く挙げ、下衣は濁流に浸りながら歩いたものです。両側の水田に踏み込むと大変ですから、浸水した道路を歩いていくのは一苦労で、上級生を先頭にして一列縦隊となって歩きました。
中堤の南は浸水も少なかったので、愛宕町に入るまでに服装を整えて、素足のまま登校しました。(秦史談61号)

中堤と久万川の間は、浸水エリア。で、中堤が、愛宕町の方が浸水するがを防いじょったという訳です。なるほど。
写真の吉田公園。昔の地図を見ると、この辺りを中堤が通っちょったにかありません。今は、町を歩いてみても、その、上り下りで苦労したという堤の痕跡は見当たりません.


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