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今日のにっこりひまわり 毎日健康社員日記

雪の笹ヶ峰トンネルと北山越え〔3879〕2013/11/28

雪の笹ヶ峰トンネルと北山越え

2013年11月28日(木)山は雪でした

今朝、香川まで行って帰ってきました。高速道路で。
行きしなは、県境の笹ヶ峰トンネルを抜けたら雨。高知県側は降りやあしませんでした。しかし、帰りは、新宮村辺りから雪になっちょりました。水分の多い、霙に近いような雪。これから、四国山地の主峰界隈は積もることでしょうねえ。

写真は、その、帰りの、雪が降りゆう風景。笹ヶ峰トンネルの入り口。愛媛県側。まだ、降りはじめで、山は白うなっちょりません。気温は3℃でした。
この向こうの山が笹ヶ峰で、ご承知の通り、藩政期の北街道として、参勤交代にも使われたルートがありました。そのルートを、今は高速道路が走ります。

さて。その北街道。通常は北山越えと呼びますな。平安時代初期、都と土佐を結ぶ官道とされたものの、まあ、険しい山越えですき、衰退したそうです。再びクローズアップされたのは享保3年(1718年)。藩政期半ば。このルートが参勤交代の道に格上げされた訳です。それから、主要道路として、活発に利用されるようになったとか。

その参勤交代。高知の城下を出発して、どういったルートを通ったのか。
まず、お城を出て東進。山田橋の番所から北上、江ノ口村を東進して比島橋を渡り、布師田へ。さらに東進して、国分川を長さ19間の橋で渡ると中島。現在の南国市中島。で、そっから北東へ。国分川を渡って領石へ。で、領石川を渡って領石川沿いに北上。山道へと入っていきます。そして穴内。
穴内川を渡って国見山の西肩の峠を越え、下って北上すると吉野川。上関で吉野川を渡ったらエイがですが、参勤交代では、一度、吉野川沿いに西進して本山に寄りよったそうです。で、木能津から上関。
吉野川北岸の平坦路を東進し、川口で立川川を渡って立川川沿いに北上。
立川番所を通り、山道を登って国境の笹ヶ峰の峠へ。

これが、土佐藩内のルート。伊予に入ってから、瀬戸内に出て讃岐国仁尾湊から中国路へ、と進んだそうであります。

参勤交代でもない、普通の旅人も、このルートをよく通りました。
途中の送番所は、順番に、石淵(布師田)、領石、穴内、本山、川口、立川。馬継も、同じところに用意されちょったと思われます。

このルート、今は県道5号線が、愛媛までつながります。笹ヶ峰隧道のちょっと手前で、右手に、山へ登っていく山道。その急坂を越えて行きよった訳で、荷物も運ばんといかんし、大変やっつろうと思いますよね。

その、笹ヶ峰の峠越えも大変ですが、穴内から国見山の西の峠を越えていく道も、これまた険しい。穴内川沿いではなく、敢えて、この険しいルートを街道としたのは、本山へ寄らんといかんかったきでしょうか。本山は、今考えるよりもずっと、主要な街であったようです。
その、険しい峠というのを、現在の地図で見てみますと、赤荒峠という峠でしょうか。標高は約830m。穴内川が400mばあとして、それっぱあの標高差を越えて、本山へ寄りよった訳です。

昔の街道や、道は、山を越えていくルートが普通。川沿いに道をつくる、という考え方や技術は近代になってからでしょうき、険しい山道であっても、一番短いルートを通るがが当たり前であったがでしょうか。
高速道路は、険しい山であってもトンネルをぶち抜いて最短ルートを通るので、昔の街道の考え方と似いちょります。


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