黒田官兵衛、その波乱の生涯〔3849〕2013/10/29
2013年10月29日(火)快晴!
良いお天気。今朝、会社へ来て、郵便物を整理しよりますと、雑誌の入った封筒がでてきました。開けてみると、「黒田官兵衛、その波乱の生涯」という、株式会社メディアックスさんという出版社発行の雑誌。「2014年黒田官兵衛ドラマ大特集」というサブタイトル。
そう。来年のNHK大河ドラマに合わせて発行された、歴史雑誌。「天才軍師の鮮烈な生涯」となっちょります。本屋さんとか、駅の売店とかに、よくありますよね、大河ドラマ関連の雑誌。その一つ。
何故、そんな雑誌が小生のもとに送られてきたのか。
実は先日、弊社にお電話があったそうです。大河ドラマに合わせて雑誌を発行するのに、ひまわり乳業ホームページにある写真を使わせて頂きたい、という主旨。連絡を受けた小生、別に拒む程のものではないので、はいはい、と、お返事しておきました。それがこれやったがですね〜。
ここに使われちゅう写真は、このにっこりひまわり、2009年5月30日の写真なのであります。う〜ん、雑誌に自分の写真が使われたのは初めて。なんか、ちょっと、嬉しいぞ。
雑誌は、もちろん写真満載。取材で撮影してきたものが中心ですが、色んなところから借用したものも。キチンと出典が書かれちょります。ナントカ博物館とか、国会図書館とか、城郭や戦場専門のウェブサイトが多い中、こうやって個人の写真を載せて頂いちゅうのは、結構レアなケースにかありません。
阿波池田の、山の上ですき、ここまで取材にも行けんし、この碑の写真がなかなかなかったがやと思われます。そりゃあわかります。
この碑は、こじゃんと目立たんところに立っちょりますきんね。
長宗我部元親さんが、四国制覇の拠点とした白地城の跡には、今、温泉保養施設が。そして、そこが、重要拠点であったことは、阿波の皆さんにはほとんど知られちゃあしません。長宗我部は、阿波、讃岐、伊予の皆さんにとっては侵略者であり、忘れてしまいたい過去、という部分があるようです。そりゃあそうか。
で、その城址のすぐ下、杜の中に大西神社。大西氏は、長宗我部元親さんに攻められ、讃岐へと逃れた武将。それまで、阿波西部を支配しちょった豪族。その大西氏を祀る神社、大西神社が、鎮座ましましちょります。そしてその横に、この碑。
ここへは、温泉施設の敷地内に入って車を停めんと、行けません。ですきに、普通の方々は、なかかな気付かんでしょうね。そんな碑ですので、小生の写真に行き当たった、ということながでしょう。へへ。
秀吉の四国攻めは、その軍勢、勢力ともに圧倒的な差があり、最初から勝負にはならんかった戦。その中で、軍師黒田官兵衛の鋭い戦略眼によって、よりスムーズに、元親降伏が実現した、という話。その詳細を、この記事には書いちゃあります。
黒田官兵衛さんについては、小生、そんなに知っちゅう訳ではありません。中学生の頃、吉川英治さんの太閤記で、竹中半兵衛と黒田官兵衛がすごかった、というのを読んで以来、有能な人物あるとは思いよりました。
写真を使うて頂いたおかげで、その雑誌を送って貰い、読む事ができました。あらためて、勉強になりました。
本屋さんや駅の売店で、この雑誌をみつけましたら、ぜひ、ご覧になってみてください。よろしければご購入を。面白いです。
その写真は、63ページに掲載。いやまあ、どうということのない写真ではありますが、ちょっと、嬉しい。