変わりゆく介良と変わらない介良〔3824〕2013/10/04
2013年10月4日(金)曇っちょります
ここは今朝、5時前の高知市介良中心部。自転車にての出勤途中。同じ場所から今年の6月11日に撮影しちょりますが、建物の痕跡はなくなり、整地されて道路に変貌しょうとしよります。向こう側の建物も、間もなく取り壊されるのでありましょうか。介良中心部、もう立ち退いて、少し引いた所に新築の家が建ち始めた場所もあります。長いこと、この風景であった介良中心部も、大きく変貌しょうとしよります。
向こうに見えるのは小富士山。通称介良富士。信仰の山。いや、小富士山というのも通称で、介良山というがが正解にかありません。皆山集、韓川筆話には、土佐富士と言い習わすと書かれちゅうそうです。
その山の麓からちょっと上がったところに鎮座ましますのが、ご存知朝峯神社さん。延喜式内社。御祭神は、木花佐久夜姫。このはなさくやひめ。大山祇神の娘さん。この山が富士山のように見えることなどから、浅間神社と関係が深いことは言うまでもありません。
拝殿前には立派な陽物。ここにこんな陽物が鎮座ましますのは、拝殿の背後の石段、普通は入って行けんなっちゅう石段を上がっていった先の奥院の崖に、巨大な自然岩が鎮座ましまし、ご神体として祀られちゅうことに対比されちゅうがでしょう。その自然岩の形状は、もう、そっくり。
何で知っちゅうかと申しますと、以前、そんな神聖な場所であるとは知らずに、古い古い石段を上がって、その場所に行ったことがあるきです。
皆山集、韓川筆話から抜粋。
「又本殿の後に岩屋ありて其下に水たまり、瓶のふるきがむかシよりありけり、いと殊勝なるところなり、其瓶常に水七八合ばかりあり、大雨にもまさず旱魃ニもかれず、かたハらに芭蕉壱もと、これまたむかしよりかハらず生ひそだてり・・後略」
つまり、その、そっくりの巨岩の下には瓶が置いてあり、大雨でも旱魃でも、水が一定量湧き出しているという不思議な岩である、ということ。
迷い込んだ際は、そんな言い伝えも知らず、前知識もありませんでした。しかし、その岩が女陰そっくりであること、岩の下に水が湧き出しておったことには気付きました。芭蕉があったかどうかは、見ちょりません。
帰ってきてから調べてみまして、あんまし足を踏み入れたらいかん神聖な場所であることを知りました。女性の神様で、その場所は今でもの女人禁制。神々しいことはしゅっと判ったので、畏れ多いので撮影はようしませんでした。それで正解。
調べてみますと、朝峯神社さんでは、10月20日の祭礼で「行子儀礼」が行われゆうそうです。高知市の無形民俗文化財に指定されちゅうそうで、かなり、昔とはやり方も変わったでしょうが、今も残されちゅう古い民俗。主役の行子(神子)の童子に神が憑依して宣託を行うという儀礼。
明治初年の儀礼をみると、祭礼前7日間、行子や介行子、それに頂女郎(いたじょうー月のものがなくなった女性)が頭屋で忌籠り(いみごもり)をし、当日は衣装を着せ、白塗りの化粧をして額に八字眉を描いたそうです。で、頭屋で行子を正座させ、眠らせて、馬に乗せて神幸、本社で占問いの儀式をやった、となっちょります。そこで、神の言葉を聴く訳ですね。
儀式後、衣装を脱がせて洗顔すると、眠りから覚める、という次第。
介良は、古くから荘園が開かれた、古い古い土地。ここには太古の昔から人々が生活を営み、神様とともに暮らしてきました。
風景はこうやって変わっていきますが、人々の幸せを願う思いは、変わらず受け継がれていきます。