総工費の2.3%の柱〔3822〕2013/10/02
2013年10月2日(水)快晴!
秋晴れ。良いお天気。
今日は、昨日Facebookに書きました四国森林管理局の「柱」の話。もうちっと詳しゅうに書いてみましょう。写真は、今日撮影してきた「柱」。左手の建物、お城の西側の、四国森林管理局の庁舎。ここは平成11年3月まで、高知営林局と言いよりましたよね。四国の森林を管轄する高知営林局。
元々、藩政期に、藩の所有林、御留山であったものが、明治維新で「官林」ということになり、それが国有林になっていきました。こっからは林野庁のホームページから抜粋。明治15年、「高知山林事務所」開設。で、明治19年に「大小林区制度」ができて、「高知大林区署」に名称変更。明治26年に「愛媛大林区署」を統合して、四国全域の山を管理するようになったということです。
大正13年に「大小林区制度」から「営林局署制度」に変更になり、「高知営林局」に。それが平成11年まで続いた訳ですな。
高知に、四国全体を管轄する「局」が置かれるのは、かなり珍しい。国交省の四国地方整備局や、国税局など、殆どが高松にありますね。調べてみますれば、総務省の四国総合通信局というのは、松山にあります。徳島には、そんな「局」は無いにかありません。高知は、圧倒的な森林県、ということで、四国の国有林を管理する「局」が置かれたがは納得できます。高松に置いたち仕方無いですきんねえ。
さて。
大正5年。つまり、高知大林区署であった時代。明治21年に建てられちょった庁舎が新庁舎に建て替えられたのであります。木造ですけんど、モダンな洋風建築。そして、その正面玄関の両脇には、ローマ時代のトスカーナ様式の装飾柱が立てられたそうです。ビックリするのは、庁舎建築費11,970円のうち、276円が、その柱にかかった費用。なんと、2.3%。装飾柱に。あの頃、公共の建物は、じつにお洒落でデザイン性の高いものが多い。そういった余裕が感じられる大正ロマンの時代。羨ましいですな、まっこと。総工費の2.3%を、2本の装飾柱だけに使用するとは。
で、その庁舎も、昭和39年に新しい建物に替わりました。その際、取り壊された旧庁舎の柱を、記念のモニュメントとして敷地の隅に残すことにした訳ですね。
柱の基部に、銘板が埋め込まれちゅうので、そこに刻まれちゅう文章を転載します。
旧庁舎玄関柱をこ々に復元す 昭和四十三年六月二十九日 高知営林局長 森尾洋一
これを読むと、柱がここに復元されたのは、取り壊されてから4〜5年後。それまで、高価な柱ということで処分するに処分できず、置いちょったがかも知れません。お陰で、こうやって、かつての高知営林署の姿を偲ぶことができるので、有り難いこと。
この柱は、お城周辺の戦争痕跡を探しゆうときに偶然発見しました。なかなか、気付きにくい場所に静かに屹立しちょります。
いつもお世話になっております、秦史談会の松本さんは、元営林局にお勤めでした。で、この柱のことを尋ねてみたことがあります。当然ですが、よくご存知でした。