昔、香美郡という郡があったそうな〔3792〕2013/09/02
2013年9月2日(月)雨
昨夜は結構降ったにかありません。今朝も、時折しっかりした雨脚で降りよります。
ここは今朝の香長中学校正門前。南国市立香長中学校。香長小学校というのもありますが、そちらは香美市立香長小学校で、こっからとっと北へ行った、旧土佐山田町、現香美市の、新改の手前にあります。
そして、会社の近くの南国市立田には、南国市立香南中学校。香南市ではなく、南国市に香南中学校。なかなかややこしい。
これは、この界隈の行政区分が、古代、近世、近代と現代で、ちょっと違うてきちゅうきですね。
ここ、南国市立香長中学校のある場所は、昭和34年に南国市が成立するまでは長岡郡香長村やったがです。ですきに、香長中学校。その香長村は、香美郡日章村と前浜村、それに長岡郡大篠村、稲生村、三和村、十市村の6つの村が合併して、昭和31年に成立。そう。それで、香長村な訳です。
これでわかることは、前浜や、ひまわり乳業のある物部、日章は、香美郡であったということ。田村も立田も、そして岩村も、全部香美郡。
概ねですが、その、香美郡と長岡郡の境界は、国道55線の、カーサ下田さん、サークルKさんのある、あの交差点を南北に突っ切る道路。そこから北へ、旧国道沿い、葬祭会館の東壁の前に、長岡郡と香美郡の境界であることを示す標柱がたっちょりますよね。
で、現在の香南中学校の場所は、もちろん香美郡やった訳です。昭和34年に、南国市になりました。
香美郡の南部にあったので香南中学校。この話は、以前にも書いたことがあるような気がします。
香美市立香長小学校のある場所も、実は、香長地区という名称。香長地区公民館が、小学校のしゅっと横にあります。
学校から北西しゅっとを新改川が流れますが、その対岸は長岡郡やったがですね。ですきに香長地区。で、香長小学校。
これも以前に書きましたが、高知から、香美郡が消えてしまいました。旧香美郡は、現在の香美市、香南市、そして南国市の一部になってしまいました。南国市の一部になったのが、昭和34年で、香美市と香南市になったのは、こないだの大合併。
行政区が合併したり名前が変わったりしても、そこの地名や施設の名称は、なかなか変わりません。当たり前ですが。それで、かなりややこしいことになっちゅう訳です。が、そんな時代の変遷を伝えていくためにも、残していってもらいたい名称です。
今となっては、前浜や田村、立田、物部、岩村の一部などが香美郡であったと記憶しちゅう方も、もう、少のうなっちゅうでしょう。
昔、香美郡という郡があったそうな、と語られる日が来るのでしょうか。