土佐高賀茂大明神、ご両親〔3789〕2013/08/30
2013年8月30日(金)曇っちょりますが、蒸せます
昨夜はひろめで飲みよりました。県外からのお客さんもいらっしゃったので、ついつい、こじゃんと飲んでしまいました。ひろめの食べ物は相変わらず美味しく、そして生ビールと日本酒が、これまたうまい。あの、猥雑な雰囲気の中で飲む酒は、本当においしゅうございますね。高知県人で良かった、と、つくづくしみじみ思うひとときです。
さて。今日は、布師田で会議がありましたので、お昼前、ちくと土佐神社さんにお参りしてきました。土佐一の宮、土佐神社。
こないだ、夜明け前のオリオン座を眺めながら、あのベテルギウスが、アジスキタカヒコネ神に比定されちゅう、という話を書きました。味鋤高彦根神。そう。ここ、土佐神社の御祭神。一言主神と同じ神様とも見られますよね。賀茂氏に関係が深いとされる、アジスキタカヒコネ神さん。
この場所では、原初、都左の国造が、土左大神を奉斎したと伝えられちゅうそうです。それ以前から、この地域の信仰の対象であったかも知れません。
で、日本書紀にも「土左大神、神刀一口を以て 天皇に進る」などと書かれちゅう、と、説明板に書いちょりました。奈良時代になり、賀茂氏の勢力が土佐に及ぶようになって、アジスキタカヒコネ神、一言主神が祀られるようになった、とあります。
土佐は、朝倉に鴨部という地名が残るように、賀茂氏の勢力が強かったがかも知れませんな。
平安時代になると、当然のように延喜式の式内社となり、都佐坐(とさにいます)神社と称するようになったそうです。
その後、11世紀頃、土佐国総鎮守一宮とされ、土佐高賀茂大明神と呼ばれるようになりました。神仏習合の時代。
明治4年になって、神仏分離令に伴うて、土佐神社ということになったのでありました。
つまり。我々は、土佐神社とずうっと呼ばれよったと思いがちですけんど、実は、土佐高賀茂大明神と呼ばれよった時代の方がずっと長い、というこにになりますね。なるほど。随分とイメージが変わってきます。
で、土佐人は、土佐神社のことを志奈禰さまとも呼びますよね。毎年8月15日に開催されるお祭りの名称は志奈禰(しなね)さまで通っちょります。
新嘗祭から転じて志奈禰様となったという説があって、なるほど、と思わせてくれます。
土佐神社の西を流れる川は「しなね川」。禊の川とされ、禊の神事がおこなわれよった川。しかし、なんと、平成11年に河川改修工事が行われ、その禊の斎場であった場所が、遷移を余儀なくされたということ。なんということ。千数百年の歴史で、そんなことは初めてやったがやないでしょうか。
その、禊の斎場に鎮座ましましちょった禊岩。今は、この写真のように、境内の東側に移されてきちょります。う〜ん、千数百年の歴史を、なんと心得ちゅうがでしょうかね。
この禊岩のしゅっと横に池があり、その中の島に厳島神社。もちろん弁天様ですき、御祭神は市杵嶋(いちきしま)姫。別名タキリビメ。大国主神とタキリビメの間に生まれたのがアジスキタカヒコネ神ですき、土佐神社の御祭神のお母さんが、ここに居ました。
そう言えば、土佐神社の境内社、本殿の西側には、大国主神社さんも。アジスキタカヒコネ神のお父さん。お父さんとお母さんに、東西から挟まれちゅうがですな。なるほど。今、気付きました。