与島小学校と与島幼稚園〔3790〕2013/08/31
2013年8月31日(土)蒸せます
今朝はまた、蒸せましたね、こじゃんと。台風の影響でしょうか。そして台風は、ボッチリの雨を高知にもたらしてくれるのでしょうか。気になるところです。
8月31日という日は、子供たちにとっては特別な日。夏休みの最終日。まあ、今年は明日が日曜日ですき、明日が最終日。あせりまくって、友人の家に集まり、宿題の見せっこをした日々よ。
なかなか大変やった最終日ですが、今となっては懐かしいですね。そうやって過ごした友人と通うた追手前小学校は、この春、廃校になってしまいました。
今日は岡山へ来ちょります。時間の関係で、車できました。ですきに、お昼、またまた瀬戸内海の与島に立ち寄ってきました。サービスエリア駐車場の南端から土手を越えると、与島の集落へ下っていく小径に出れます。
瀬戸大橋が開通したがは丁度25年前。1988年。バブルまっ盛りの時代。塩田事業が衰退し、島の将来に不安を抱えちょった与島の人々は、その、瀬戸大橋による観光開発に夢を託しました。
すごかったですね、25年前、開通当時の瀬戸大橋ブーム。今でも覚えちょりますが、とにかくすごいヒトでした。しかし、それは真夏の夜の夢。アッと言う間にブームは過ぎ去り、そしてバブルも崩壊。
京阪フィッシャーマンズワーフを訪れるヒトも激減し、観光で豊かになる夢はバブルとともに弾け飛びました。
島には何が残ったのか。
島の風景は、橋ができる前の美しい漁村風景が色濃く残ります。たしかに、立派な自動車道もできましたが、今は、通る車もほとんど無し。
集落の中を縦横に通る小径は、自動車なんぞ通れませんし、必要もない。辻には井戸が掘られた、昔ながらの島の漁村が、今も。しかし、今日も、集落をしばらく歩いてみましたが、誰にも会いませんでした。誰一人。
橋は、人口流出に歯止めをかけることはなく、24時間止むことのない騒音だけを残しました。
ここは与島小学校、与島幼稚園の跡。2000年に休校になり、その後廃校、廃園になりました。夏草に囲まれ、静かにたたずむ校舎、園舎。この小学校には、1959年のピークには221名の小学生が在籍したそうです。賑やかなことやったでしょうね。
右手が小学校の玄関で、左手が幼稚園。かつて、夏休みが終わると、宿題を抱えた子供達がたくさん通っていた玄関口。今、聞こえるのは、瀬戸大橋を通る車の音だけ。