高知海軍航空隊通信所〔3772〕2013/08/13
2013年8月13日(火)晴れ!
いやあ、涼しい夜でした。一昨日の夜は、とにかく暑うてタマランかったですが、それに比べたら昨夜は天国のよう。普段の夏であれば、たぶん昨夜も暑い夜という印象やったと思うがですが、一昨日を経験してしまうと、もう、天国。
寝始めの扇風機が心地良い。一昨日の夜は、寝始めも真夜中も、扇風機から熱風で、寝苦しい寝苦しい。昨夜の心地良かったこと。人間、こうやって、環境に適合していくがでしょうね〜。たいしたもんです。
今朝は、ちくと用事があって高知大学農学部へ行っちょりました。会社から車で5分かかりません。しゅっと。高知大学農学部とは、共同開発をやったり、採用したりと、深い関係にあるひまわり乳業。
以前から、何度もびっしりご紹介してきたように、高知大学農学部は、高知海軍航空隊の基地やった場所にあります。高知大学農学部、国立高知高専、そして高知空港。この広大な敷地に、海軍の施設がありました。
今日は8月13日。まもなく終戦記念日ですが、68年前の高知では、米軍上陸作戦に備えた陣地の構築が突貫で進められよりました。主に陸軍の手によって。高知の沿岸部に近い山にはトンネルや壕が掘られ、要塞化されようとしちょりました。海軍は、この飛行場を中心に、海岸部に特攻ボート震洋の基地をたくさんつくったりしておったのはご承知のとおり。
で、現在の空港や農学部周辺には、ここが海軍航空隊であった当時の痕跡がたくさん残ります。例えば掩体壕。例えばトーチカ。発電施設みたいなのもありました。
そして、地下の通信施設がここにあると知ったのは、今年になってからでした。
少し前、農学部で会合があった折に、その通信施設の入り口を探しにきてみましたが、よう見つけんかったがです。
詳しい方に尋ねてみたら、大学の駐車場整備で、入り口も土嚢で塞がれたりしてわかりにくうなっちゅう、とのことでした。
その後、その通信施設痕跡を残すべく、有志の皆さんが大学へ申し入れ。調査が行われることになり、その様子がこないだの高知新聞さんに載っちょりましたよね。
小生、よう行かんかったがが残念。
その調査のお陰でしょうか、今朝、行ってみますと、広い空き地の数カ所にブルーシート。どうやら、通信施設発掘関連のものにかありません。盛土の南側へ下りてみますと、ありました。この写真。
どうやら、ここは、地下通信施設に入る入り口の一つにかありません。
戦争末期、米軍攻撃に備え、重要な施設は、基本的に地下に構築されました。山につくる場合が多いがですが、飛行場の場合はそうはいかん。で、このように、地面の下につくられた訳です。
高知県教育委員会の調査によりますれば、入り口は4ヶ所。大小4つの部屋があり、広い通路も。すべて、コンクリートで壁面が覆われた立派なもの。なかなか広い。保存状態は極めて良好、とされちょります。なるほど。
大学としても、駐車場整備計画を中止する訳にもいかんという立場もわかります。どうやら、この通信施設跡の上には車を停めないような、そんな整備計画に変更する、ということになったと聞きます。
戦争の記憶が、どんどん薄れて行く日々。記録や痕跡は、可能な限り残し、後世に、ここにも戦争があったことを伝えていくことは、とても重要になってきました。
必要なのは、可能な限り、事実や実物を粛々と集め、検証し、冷静に客観的に、そしてヒトの気持ちになって、考えて行くこと。終戦記念日が訪れる度に、そんなことを思います。決して感情的にはならずに。