1文橋、1文はいくらか?〔3764〕2013/08/05
2013年8月5日(月)晴れ!
昨日のお昼。土佐山田の雪ヶ峰牧場さんへ。ジャージー種の乳牛を100hrという山で自然放牧する、すごい牧場。その牧場では、毎年この時期、牧場まつりと称して、関係各位を呼んでバーベキューをします。昨日がそれでした。
昨日は土佐黒毛和牛の雌の肉が手に入り、それを焼いたり薫製にしたりローストビーフにしたりの贅沢三昧。はちきん地鶏もおいしかったです。
牧場の一角に、100名規模でおきゃくができるスペース。大きな樹々の下ですき、涼しい涼しい。
しかし。午後になって、高知ではホントに久々の本格的な雨。普通の雨なら、全然大丈夫なくらいの樹々ですが、さすがにちょっと厳しい。でも大丈夫。テントもいっぱい張っちゃありますので、そちらに移動すればOK。久々の雨で、牧場の方も大喜び。なんせ、牛が喜ぶし、牧草の生育も違う。恵みの雨。雨の後は、ホントに涼しい風が吹き抜けて、心地良い牧場まつりでございました。
さて。
ここは今朝の一文橋。江ノ口川に架かる一文橋。南北の大きい道路が開通して、大きく立派になった一文橋。以前は、宝永町からの道路は通っちょらず、もうちょっと西の道路を北へ来て江ノ口川に突き当たり、右折し、左折して渡りよった一文橋。すっかりと様変わりしてしまいました。
この新しい橋の欄干には「寛永通宝」があしらわれちょります。
何度かご紹介してきましたが、藩政期、ここは渡るがが有料やったので一文橋。では、一文とは、どれっぱあのもんなのか。
ついこないだ、物部川の戸板島の渡しについて書きました。文化2年(1805年)の記録に残る渡し賃が5文。いなり寿司が6文、おそばが16文やった時代。となると、1文は安いっすねえ。
別の資料によりますれば、藩政期後期は、1文が現在の5円。かなり、文高が進んじょります。文化年間では、1文10円〜15円くらいですきんねえ。幕末、かなり急激に文高が進んだにかありません。と、いうか、インフレ。ハイパーインフレに近いですねえ、これを見ると。なんせ、藩政期前期から中期にかけては、1文20円〜25円で、かなり安定しちょりましたき。貨幣経済の進行に伴い、インフレも進んだがでしょうか。
さて、一文橋。寛永通宝は、寛永13年(1636年)に鋳造開始。上に書いたように、当時は現代価値で25円くらい。
さあ、今日は、出張に出かける途中の車の中で、このにっこりを書きよります。ので、調べる資料が手元にない。ここを渡るのに、1文であった時代はいつ頃のことなのでしょうか。いつ頃から賃を取り、いつまで営業しよったのか。料金は、ずうっと1文やったのか。
う〜ん、調べてみたいことが、朝っぱらから増えてしまいました。これにつきましては、また、いつか、あらためまして。