高松、残して欲しい戦争の痕跡〔3765〕2013/08/06
2013年8月6日(火)晴れ!
今日は8月6日。68年前の今日、広島に原爆が落とされました。そして、戦争は、一気に最終局面にはいっていった、夏。
それまで、本土の主要都市は、ほとんど、空襲でやられちょります。高知市も、何度も何度も空襲に遭いました。一番被害が大きかったのが、昭和20年7月4日の高知大空襲。その空襲の痕跡は、ほとんどなくなりました。一部に残りますので、キチンと残して後世に伝えていかんといけません。
ここは高松。香川県の高松。その繁華街のど真ん中。街中商店街の再開発で有名になった丸亀町。兵庫町のアーケードとの交差点は、ドームがあって、素敵になりました。その南に、現在耐震工事中の、百十四銀行高松支店さんのビルがあります。昨日、Facebookでご紹介したがですが、今朝、あらためて走って行っちょりました。空襲の痕跡。
昭和20年7月4日。マリアナ諸島を飛び立った米軍の501機のB29は、高知、徳島、姫路、そして高松を空襲しました。そう。高知大空襲の日は、高松でも大空襲がありました。高松市内は灰燼に帰しましたが、市内中心部で奇跡的に焼け残り、そして、今も奇跡的に残されちゅうがが、このビル。百十四銀行高松支店のビル。持ち主が変わらず、ずうっと百十四銀行さんの持ち物やったがが良かったがでしょうか。
空襲の翌日、7月5日に撮影された写真があります。これ。四国新聞さんの記事に載っちょります。見事にデザインがほどこされちょりますが、これは迷彩塗装とされます。空襲の目印になりにくいように、すごい塗装。そして、昨年、耐震工事のために仮設店舗をつくるべく、隣の建物を取り壊した際に、その迷彩の痕跡が出現して、皆をビックリさせました。まさしく、戦争の痕跡。
で、昨日行った際、じっくりと観察してこんかったので、今朝、今一度、観察しに行っちょった訳です。防音のシートで覆われた壁面。じっくりと見てみましたが、昨年出現した迷彩痕跡がどんなになっちゅうかはわかりませんでした。実に、生々しい痕跡ですので、なんとか保存してもらいたいもんですね。
知らんかったですが、兵庫町の北側には、高松城の外堀が東西に流れちょったにかありません。今の三越の辺り。三越の西側に常磐橋という大きな橋が架かっちょったそうです。橋の北には番所、南側には高札場。その高札場のところは、城下から各所へとつながる街道の起点で、重要な結節点。今、そこに、丸亀町と兵庫町の交差点があり、商店街再活性の起点となっちょります。
そのしゅっと南に、戦争を耐えて残ってきた銀行の建物。
そう言えば、兵庫町は、武器庫があったことに由来する町名ですよね、確か。武器庫があった近くに商店が並ぶようになり、銀行ができて、大空襲を焼け残って現在にその姿を残す。そんな町が、ここに広がります。
昨夜、遅うまで飲みに出ちょりましたが、まあ、実に、賑やか。月曜日というのに若者が溢れちょりました。賑やかな高松です。ビックリしました。