蘇鶴温泉RUNと、雨と、おしゃれな傘〔3728〕2013/06/30
2013年6月30日(日)曇りのち雨
今日は輪抜けさま。午前中は曇りで、時折薄日も差してくる、蒸し暑いお天気やったがですが、お昼頃から降り始めました。なかなかしっかり降りよります。輪抜けさまに雨はつきものですけんど、これっぱあしっかり降ったら、ちくと、辛いかもしれませんな。
さて。昨日、友人のFBで、伊野の蘇鶴温泉へ走って行っちょったがが紹介されちょったので、突然走って行きとうなりました。どうしても。
蘇鶴温泉の弱点は、営業時間が12時からやということ。ですきに、メッソ、早うに走り始めれんがです。ですきに、夏は、暑い。
しかし、あのローカル感満載の雰囲気、エイですね~。お湯と水の2つの槽だけ。サウナみたいにハイカラなものは、もちろん無し。熱湯とお水の蛇口は手動でひねるやつで、懐かしいアナログ。シャワーもありませんぜよ。一軒だけの温泉ですが、明治の頃は、何軒も並ぶ、賑やかな温泉場でした。
島崎藤村と明治学院同級生で、ロマン派の文学者として活躍した馬場孤蝶さんが、高知へ里帰りした際の日記にも、芸妓さんを連れて、蘇鶴温泉まで遊びにきたことが書かれちゃあります。
この温泉の由来、何度かご紹介しましたが、今日は、店内に掲げられちゅう説明板を、転載してみましょう。
蘇鶴温泉の由来
今より一千年の昔、弘法大師が大内奈路ヶ峯に高野寺の建立を計画した時、温泉が発見され、人皇代五十一代平城天皇の第三皇子高岡親王が仏教研修を志し、弘法大師の○をしたい都より大内に遷居せられた。当時、現在大内鍾乳洞のある大奈路ヶ峯に屢々登られ、仁淀川を隔て、遥かに八田山を眺め、遠く京都の空を偲ばれて、仁淀の清流は加茂川の水のごとく清く美しく、又、八田山は東山によく似ているといわれたそうである。
或る日、親王は。矢傷をうけた一羽の白鶴が山麓にある泉に飛び来たり、水浴する様子をごらんになり、不思議に思われていた。この白鶴は、毎日毎日この泉で水浴していたが、数日後、傷は完全に治癒して何処ともなく飛び去った。親王はこの泉の薬泉であることを知られ、泉の名を蘇鶴温泉と命名したと云い伝えられている。
後略
なかなかのもんですな。明治の文人が遊びに来たがも頷けます。
さて。
温泉につかって、ビール飲んで、帰るべし、で外へ出たら、雨。う~ん、雨。結構ガイな雨。そして傘がない。
仕方ないので、温泉ねおばちゃんに、要らん傘があったら貸してくれませんですろうか?と、恐る恐る頼みましたら、かまんかまん、誰かが忘れて行ってそのまんまにしちゃあった傘やき、と、手渡してくれたがが、これ。
ふふふ。オシャレ。なにやらフレンチテイスト満載の傘。メリーポピンズを思い出してしまいました。上手に差さんと、体が濡れます。
雨の蘇鶴温泉に似合うのかどうなのかは別にして、ちょっと楽しい気分になりました。