3度目の飛騨高山〔3727〕2013/06/29
2013年6月29日(土)飛騨は晴れ
今朝は飛騨高山。そう。岐阜県北部の、飛騨高山。昨日、高知から車で来ました。ここに飛騨酪農組合さんという乳業メーカーがあり、そちらへのご挨拶。どういうことかと申しますれば、飛騨酪さんに、弊社の健康青汁「菜食健美」を宅配して頂きゆうがですね。岐阜県はもちろん、名古屋をはじめとする愛知県でも、そして富山県、石川県でも。つまり、飛騨酪さんに注文すれば、その地域の皆さんは毎日「菜食健美」が飲めて健康になって仕方がない、ということになる訳です。イカン。また宣伝だ。
昨夜は、飛騨高山に泊まっちょりました。食事は、飛騨牛の焼肉と、もつ鍋。う〜ん、おいしかった〜。特にもつ鍋が。
で、今朝。実は、昼過ぎには高知へイヌらんといかん。そこで飛騨高山出発は5時半。朝の5時半発なので、走る道具は持ってきちょりませんでした。5時前からちょっとだけ散歩。昨夜飛騨牛を食べたお店界隈から、古い町並みの辺り。写真は、その、見事に整備された古い町並み。現代的な異質な構築物は排除し、映画のセットのように町並みを整えちょります。
ここは戦争でも焼けず、戦後の都市計画でも昔のものがかなり残された街。藩政期の雰囲気が残る街。それを、このように整備するのは、ホントに良いことやと思います。
この街で朝を迎えるのは3回目。毎回、朝、街をたつくるのでありますが、3回目になりますと、ちょっと違う、ヒネクレタ感想が思い浮かんでしまいました。この風景を見て。なにやら、人工的なものを強く感じてしまうがです。もちろん作為的にこのような景観を整えるのは、好ましいこと。観光客さんも大喜び。昔ながらの雰囲気を壊さないように繊細な配慮をし、統一感を醸し出す。良いこと。
ただ、町並みをよく見ると、同じ焦げ茶色で塗られ、書かれた墨文字も同じような書体。あるテーマに基づいた美術館か博物館の展示を見ているような錯覚にとらわれます。そしてこの町並み、どっかでも見たぞ。
島崎藤村が生まれた、馬籠宿も、同じ風景やった気がする。そして焦げ茶色の日本建築で統一し、田舎風の墨文字で看板を書いちゅうのは、九州熊本の黒川温泉もそうでした。この雰囲気が、日本人、好きながですね〜。
いや、それが悪いとかいう話では、決してございません。それをやることによって観光客も満足し、雰囲気に浸って帰って行く。観光客が求めるのは非日常なので、そこに、普通は有り得ない非日常を見て、驚き、感動し、帰って行く。その為の演出としては、よくできちょります。飛騨高山も馬籠宿も。もちろん黒川温泉も。
ただ、3回目になると、その演出がちょっとわざとらしく見えてき始める、という、まあ、ただのひねくれたおんちゃんなのですが。
今、帰りの車の中で、これを書きよります。同行の社員さんが運転してくれよりますので。で、東海北陸自動車道を帰りゆう訳ですが、飛騨高山には中部縦貫道という道路もできよりました。どうやら、長野県の松本へ抜ける道路。
思い出しました。昔、東京で学生をやりよった頃。大きな黒い中古の新聞配達自転車に乗って、東京から高知へ帰った際、通りました。
東京から山梨を抜けて信州へ。そして、松本から標高1812mの安房峠(あぼうとうげ)を越えて飛騨高山へと下りて来た、あの夏の日。途中でパンクし、山中の土管で野宿した、あの安房峠。
明治の頃、飛騨の農家の娘さんが、信州、岡谷の製糸工場へ出稼ぎに行く悲惨を書いた「ああ、野麦峠」というような本がありましたが、その野麦峠とは違う、しかし同じく松本と高山を結ぶルートが安房峠。
そこに中部縦貫道ができるんですって。すごいもんです。ビックリしました。
この、東海北陸自動車道ができたおかげで便利になった飛騨高山。今までと同じように、この美しくも静かな風情を、こういった観光施設の場所以外の生活空間の中でも、残していってくれることを願うばかりです。