雨の中の鎮守の森〔3724〕2013/06/26
2013年6月26日(水)雨
雨が降ると、森の中に行きとうなりませんか?あんまし深い森ではなくても、少し明るい、街に近い森。
ここは野市、大谷。三宝山スカイラインの上り口の北。三宝山麓の、少し広うなった場所。大きい谷ですき、大谷でしょうか。太古の昔から、ここには人々が暮らして来た、そんな痕跡が残る場所。
現在の野市の中心部は、当然ですが、藩政期、野中兼山先生の灌漑工事によって開発された場所。それまでは、荒れ野やったと思われます。地盤が固い台地の上。
そんな訳で、ここの様な、山裾の谷筋で、人々は暮らしよったでしょう。何より大切な水を確保する為。
今朝は、しっかりした雨。この大谷を流れる小川も、川音を響かせながら豊かな水を運んでおりました。そんな山裾に鎮座まします大谷神社。
「三代実録」貞観12年(807年)の文書にも登場する、という古い古いお宮さん。平安初期。たぶんそれ以前からこの地にはヒトが住み、神様を祀りよったことでしょう。現在のご祭神は天岩戸別命さん。
昨日、神峯神社で、拝殿と本殿が一体となった建物をご紹介しました。あれがちょっと異例なのであって、ここ、大谷神社さんも、拝殿の背後に石組みが組まれ、その上に本殿が鎮座。典型的なつくり。
その本殿は、天保7年(1836年)に、戸板島村の中村祐四郎清重さんという大工の棟梁が建てたもの、と、参道入り口の案内板に書かれちゃあります。建てた大工さんの名前が語り継がれゆう、というのは、ちと、珍しいですが、それだけ見事な本殿、ということかも知れません。
写真は、拝殿脇から、奥の方を撮影したもの。左の建物が拝殿で、その向こう、斜めに補強の柱が見えます。その斜めの柱が支えちゅうのが本殿。雨が降る森は、幽玄に、静かに、参拝者をつつんでくれます。
手前に立つ石には、「奉献一田四畝廿六歩」と刻まれ、この右手の森の土地が、昭和4年に杉本さんという方からご寄進されたものであることを伝えてくれます。
写真中央部のとっと向こう。斜めの柱の根元近くに、古い燈籠が見えます。今は、夏草の中に立つ燈籠。近寄ってみると、「天保」の年号が見えます。なるほど。本殿が建てられたがが天保7年ですき、その頃、一緒にご寄進された燈籠かも知れません。
燈籠や狛犬、玉垣などの年号、寄進者名を見ると、時々、新しい発見があったりして嬉しいもんです。
今朝も、本殿建設と燈籠寄進が、どっちも天保時代ということを発見し、ちょっと、嬉しい。たぶん皆さん、ホントに興味の無い話とはわかっちょりますが、けんど、嬉しい。
雨が降り続く鎮守の森。何故か、雨がしっかり降ると、ここ、大谷神社さんにお参りに来とうなります。心落ち着かせてくれる、美しい風景が、ここにはあります。