大自然に融け込む神社の美しさ〔3725〕2013/06/27
2013年6月27日(木)晴れ!
晴れました。雲は多めですが、雲の間から差し込んでくる日差しは強い。朝の野市、上岡八幡宮さんも、夏の日差しに輝きよりました。美しい。
昨日も書きましたが、古い神社というのは、自然の中に実に美しく融け込み、安心感を与えてくれますよね。神社に自然はよく合います。
キリスト教会やイスラムの寺院とかは、どちらかと言えば人工的。街や集落の中に位置し、そこを中心にして生活が営まれる。その美しさは、人工美であるケースが多い。
ところが日本の神社は、集落のはずれ、山裾や海沿いなどに位置し、大自然への尊崇と結びついちゅうものが多い。大自然と神社は、切っても切れない関係にあって、で、神社は大自然に見事に融け込むがやろうと思います。
この、上岡八幡宮参道入り口に立つ燈籠。いや、よく見ると、灯りを点すようになてないので、これは燈籠ではないか。参道を挟んで、これと対になっちゅう同じ大きさのオブジェは、これは間違いなく燈籠。大きさがおんなじなので、同じ形をした燈籠が左右で対になっちゅうがやと思うたら、違うのであります。まったく別々の時に、別々に建てられたのか。それとも、同時期に違う形のものがご寄進されたのか。謎です。
ただ、刻まれちゅう文字は、似いちょります。
これには、奉寄進、氏子中、と刻まれちょります。反対側の燈籠には、奉寄進、文化九壬申歳八月十五日、とあります。これは結構古い。
以前にもご紹介しましたが、文化9年と言えば1812年。今から201年前。チャイコフスキーに、1812年という名曲があるように、フランス軍がロシアに攻め込み、そして撤退した年。日本では化成文化に華が咲き、江戸を中心に町人文化が流星を極めておった時期。今の日本の文化の原点になるものも、この頃多く生まれちょります。
ここ、上岡八幡宮さんに現存するモノの中で、文化9年というのは、1番目か2番目に古い。拝殿前に鎮座する自然石でできた手水に刻まれちゅう年号が、ちょっと判読しづらいのでありますが、宝永4年と読めます。そうであるとすれば、一番古い。で、これが2番目。宝永4年は1707年で、宝永南海地震の年。さあ、どうなんでしょうか。
まだ、梅雨まっ盛りのこの時期。まだ梅雨明けは遠いでしょうが、時折このように真夏のようなお天気になります。自然の音に耳を澄ますと、色んな鳥の鳴き声。まだ、クマゼミもアブラゼミもおりません。もうちょっとすると、この境内にもセミの大合唱が響き、高知では稲刈りが始まります。