ヤマモモとB-29〔3712〕2013/06/14
2013年6月14日(金)晴れ!
今日も朝っぱらから暑いっすねえ。昨夜、始めてエアコンをつけた、という方も多いにかありませんが、小生は扇風機で頑張りよります。体調を整えて夏を乗り切るには、やはり扇風機。梅雨はどこへいったのか、暑い真夏のようなお天気が続きます。これはちくと嬉しい。
さて。今、丁度、ヤマモモの季節。赤い実がたわわ。写真は、小生の部屋で、自分の机から見える風景。そう。今の季節、実りまくったヤマモモを眺めながら、仕事をすることになります。美味しそうでしょ?
しかし、この樹のヤマモモはメッソなこたあないがです。敷地内にもう1本ありまして、そっちのは、美味い。この樹は、観賞用には、なかなか素晴らしいのではありますが。
昨日、高知に残る太平洋戦争の痕跡について詳しい方に、色々と話を伺う機会がありました。そして、戦時中の証言をまとめた冊子を頂戴しましたが、その中から、今朝はご紹介します。
戦争末期、日本は、B-29の爆撃に晒されました。高知ももちろん例外ではなく。で、実は、高知市内に、2機のB-29が墜落しちょります。2機目は、昭和20年7月4日の、高知大空襲の際に、上町の電車通り界隈に墜落しちょります。四国銀行上町支店辺り。尾翼の部分だけは遠く、高知城の梅の段附近に落下。これは、街中ということもあって目撃者の多い墜落。
対空砲火で撃墜した訳ではなく、この墜落機は、爆撃の成果を調査する飛行機で、低空で撮影しながら飛びよったところ、上空からの別のB-29の投下した焼夷弾を被弾してしもうたものとされちょります。
そしてもう1機。昭和20年6月22日。広島県の呉海軍工廠を爆撃し、サイパンへ買える途中のB-29が、呉の対空砲火でエンジンに被弾しちょった為、高知で墜落したもの。主要部分は、神田の南、吉野の、鷲尾山登山口界隈に墜落。今の砂防ダムがある界隈ですね。よく通ります。
この際、4名がパラシュートで脱出、3名が捕虜になり、一人は大火傷で陸軍病院に収容されるも、敵兵ということもあって適切な処置がなされず放置されて、亡くなっちょります。戦後、このことが問題になり、当事者の憲兵隊隊長代理など3名が戦犯裁判で無期から5年の懲役刑という判決を下されちゅうそうです。
この吉野に墜落したB-29には、もうひとつ悲劇があります。
丁度今くらいの季節。山へ、5人の中学生がヤマモモを採りに入っちょりました。そのうち2人が、B-29のガソリンを浴びて焼死した、という痛ましい事故。当時、新聞は、B-29を撃墜してサマアミロ!という論調の記事を書いた訳ですが、どうやら、この悲劇については、あまりキレイに伝えた形跡はありません。
きれいに、たわわに実るヤマモモ。昔から、高知のこどもたちにとっては最高のデザートであったヤマモモですが、戦争末期、そんな悲劇もありました。