野市、三叉、水利権、利害者負担のデリケートな問題〔3708〕2013/06/10
2013年6月10日(月)曇り
昨日、実は、とあるイベントで、牛さんの着ぐるみを着て、「リープル開き」をやってきました。そう。鏡開きをリープルでやるやつ。巨大なリープルに、巨大なストローを突き刺す、という「リープル開き」。それはともかく、そのイベントは、有名な声優さんのトークイベント。会場を埋め尽くした360名のお客さんのほとんどは若い女性。しかも全国から。ビビリました。
熱狂の渦の中、リープル開きを終えて退場するひまわり太郎にも黄色い声援。
生まれて始めて、あんな、すさまじい人数の黄色い声援を頂戴しました。空前絶後の体験をさせて頂いた関係者の皆さん、ありがとうございました!
さて。
ここは今朝の野市。三叉(みつまた)。何度かご紹介した、野中兼山さんの遺構。いや、遺構と言うよりも、現在も現役の灌漑施設。
こないだご紹介した、父養寺あじさい街道を流れる上井川(うわゆがわ)が、もうちょっと南へ流れてきて、ここで3つに分かれるのであります。右手が東野溝、真ん中が町溝、左手が十善寺溝。地盤の傾斜などを見事に計算し、美しく配分しておる三叉。完成したがが正保元年(1644年)で、370年近く経過する現在も現役で稼動する分水施設。
こないだ、日経新聞の記事解説で、小水力発電と水利権の関係が書かれちょりました。昔からある農業用水、灌漑用水とかを、小水力発電に利用しょうとした時、水利権が壁になってなかなか前に進まず、頓挫するケースもある、という話。で、別に発電に利用しても水量が減る訳でもないので、既得権益にしがみついて邪魔をするのはいかがなものか、という論調でした。
なるほど。
確かに、ある意味、正しい。しかし、水利については、そんなに簡単に割り切れる歴史ではないですね。自然に流れる河川とかですと、別に問題はないが、こういった、人間の手によってすさまじい努力で開削され、長年、大切に維持管理されてきた用水。無料でできちゅうモンではない。昔から水争いはどこの地区でも熾烈で、大きな騒動に発展したことも何度もあります。そんなデリケートな問題。デリケートな問題である、ということをキチンと理解した上で、小水力も含めた、前向きの議論を始めていく必要はあるかも知れません。
ちょっと話はズレますが、明治19年、物部川堤防事件という農民騒動が勃発しました。大雨で物部川の西岸が決壊、今の空港界隈に至る広い範囲が水没したがが発端。で、その堤防改修工事の工事費の負担を、35ヶ村でつくった連合村会でする旨、知事から指示が下されました。しかし、この35の村には、直接物部川治水とは関係ない村も多数含まれちょったので紛糾、農民暴動に発展した訳です。
結局反乱農民側の勝利に終わり、物部川の利害関係町村だけで「水利土工組合」をつくって、負担することになった、という事件。
反乱農民勝利の事件ですが、逆から見てみると、水利、治水に関係する農民は、非常に大きな負担をしながら、河川、用水の維持管理につとめてきた、ということも言える訳で、それに対する思いは確かにすごいもんがあるでしょう。簡単ではなく、デリケートな問題。
ただ、これから、安心で安全な国土をつくりあげていく中で、そういった歴史を踏まえながらも、前に向いて進む努力を、相互理解のなかでやっていかんといかんがでしょう。
必要なのは、野中兼山さんのような、将来の国土像を描き、見通し、実行していく力。