四万十川、悠久のいとなみ〔3688〕2013/05/21
2013年5月21日(火)中村は薄曇っちょう
今朝は中村。四万十市中村。お仕事で、昨日の夕方やって来ました。泊まっちょったので、今朝は4時半に起きだして四万十川沿いをたつくりに行っちょりました。早朝の四万十川RUN。実に、まっこと、心地良うございました。
朝5時くらいには、もう、土手の上にはぼつぼつウォーキングの方々。明るうなるがが早うなりましたので、暑うなる前に、皆さん歩いておられます。
赤鉄橋から、一番最初の沈下橋、佐田の沈下橋までは5.6km。行って帰ってぼっちりの距離。久々でした。
ここ、佐田の沈下橋は、テレビドラマ「遅咲きのひまわり」の舞台にもなったりして、こないだの連休なんぞは観光客さんがかなり押し寄せたと聞いちょります。今朝も、早朝から、県外ナンバーの車が訪れちょったがにはたまげました。まだ5時台ですよ。
四万十川には、沈下橋がどっしこありますが、この橋は一番下流にあるだけあって、なかなか立派な代物。途中で、車が行き違いできるスペースもあります。以前、2004年12月23日のにっこりで、この橋をつくったというおんちゃんに声を掛けられたがを紹介しちょります。できたがは昭和47年頃のことにかありません。それまでは、ここに渡しがあったそうです。この橋の東詰から北を見ると、その渡し場の痕跡らしきものが見えますね。
さて、その、2004年12月23日の写真をよくご覧下さい。また、同じ年の10月30日の写真も。この年、台風による増水で、かなりの被害が出ました。10月30日の写真の真ん中の木にゴミが引っかかっちょりますので、川は、この木が隠れるばあ増水しちょったことがわかります。その写真を見ると、手前に、黒っぽい土。ここには、草っぱらがありました。その上に、黒い土が大量にかぶさって、堆積しちゅうがです。その様子が、2004年の写真でよくわかります。
で、今日の写真をご覧下さい。もう、その黒土の上に、雑草が生い茂っちょります。その土の中に埋まっちゅう空き缶を発見。掘り出して、底の、賞味期限の日付を見てみると2003年12月。なるほど。
その空き缶は、たぶん、2004年の台風の際に上流から流れてきて、土砂と一緒にここに堆積したがぢゃあないでしょうか。
その空き缶の底を上にして、こちらに見えるように立ててみました。写真下部に写っちょります。
この大河、太古の昔から氾濫を繰り返し、地形を変え、自然の威力を見せつけてきたことでしょう。それとともに、肥沃な土をもたらし、生命に力を与え、生き物を育んできました。そんな悠久の営みの、ほんの一瞬を、この土手と空き缶で垣間みることができたような気がしました。