たかまがはら〔3675〕2013/05/08
2013年5月8日(水)快晴!
良いお天気。徐々にぬくうなっていきます。昨夜は、農産物流通コンサルタントにして色んな雑誌に文章を書いたりテレビに出たりと活躍中の、やまけん達と、ひろめ界隈でぐっすりやりよりました。やまけんと小生はTシャツ。夜が更けるとさすがに寒うなってきましたが、やまけんは最後までTシャツ。エラいもんです。
で、今朝は、いつもより1時間遅く起きて自転車出勤。爽やかな早朝の風が、二日酔いの身体に効きます。
ここは高須。
右手が絶海池。左手に広がる田んぼは、キレイに圃場整備された田んぼで、田植え前にはコスモスが一面に咲いて美しゅうございます。今朝、日の出直後の、非常に美しい風景を撮影してきました。
お日様は、高天原山と小富士山の間に昇りよります。その右手の鉢伏山と合わせて、介良三山と呼ぶこともあります。こうやって見ると神々しい。3つ全部が神の山、信仰の山でありつづけてきた意味が、よくわかります。まこと、神々しい。
左の高天原山は、標高107m。北側斜面を中心に、弥生中期の高地性集落遺跡があったり、麓に古墳時代の古墳群があったり。太古の昔から、人々が暮らし、信仰してきた山。
ここで大切なことをひとつ。
北側斜面にあるのは、高天原遺跡。そして、山頂から南斜面の古墳群は、高間原古墳群。わかりますでしょうか。あの山、北側の大津分は高天原で、南側の介良分は高間原なのであります。つまり、この写真で言えば、あの左端の山の、山頂より右手は高間原で、左手が高天原ということになりますな。
どうしてそうなったのかは定かではありません。たかまがはらと呼ばれるようになったのは、かなり古い時代でしょう。神の山として、大津や介良の住民に尊崇されたので、そんな名前になったのでしょうか。
昔は、結構、漢字の使い方が厳密ではありませんでした。今のように。
古文書とかを読むと、当て字やいいかげんな漢字が頻出。同じことを書いてあるのに、漢字が違うちょったりすることもビッシリ。読み方が大事で、漢字については、それほど気に留めちゃあせんかったようです。
古文書を読み解いたり歴史を調べたりする際、そのことを知っちょかんと、落とし穴にハマったりするので注意せんといかんがはご承知の通り。
理由はわかりません。
介良の人々は、あの山を高間原山と呼び、大津の人々は高天原山と呼びました。双方とも、たかまがはらやま。