上岡山、命山機能充実〔3600〕2013/02/22
2013年2月22日(金)曇っちょります
昨年、2012年の元旦、野市、上岡八幡宮さんに、初詣に行きました。朝、10時頃やったと思います。
いつもはひっそりとしちゅう拝殿に、氏子代表の皆さんが集まって、新年の挨拶と寄り合いを、丁度始めたところでした。拝殿の横の建物には、お正月のおきゃくの準備が整えられよりました。
拝殿前で、参拝しよりましたら、総代さんが喋っておられる声が聞こえてきます。どうやら、この上岡八幡宮の標高のことを説明しゆうようでした。東日本大震災後、初めて迎えるお正月でした。
そこで、たぶん、この区域の皆さんの避難をどうするか、といった内容が話し合われたがでしょう。そして、昨年、石垣の補修改修工事が行われました。地震で崩れたりせんように、ということですね。
上岡山は、上岡八幡宮さんが鎮座まします神の山。以前は、かなり鬱蒼とした山で、ヒトが立ち入るのを拒絶しちゅうかのような山でした。2009年2月19日には、ほとんど見晴らしもきかない、身動き取れんくらいの鬱蒼とした頂上を、このにっこりでもご紹介しました。大震災後の、2011年7月28日も、まだこんな感じ。しかし、昨年の秋になると、このように、地域住民の皆さん手作りの避難路が、少しだけ整備され、頂上付近も切り拓かれて広いスペースが現れちょりました。あの、正月の寄り合いで、避難路整備計画が練られたがでしょうね。
そして。
その後、香南市の予算を確保したがでしょうか、立派な避難路が、この上岡山に取り付けられる工事が始まったのでありました。途中、戦争遺跡のトンネルがでてきたりと、色々ありまして、遂に、ここまで出来上がりました。公園みたいです。
まだ、頂上付近の舗装とかはこれからですが、ここまでできたら、もう、立派な命山。
昔から、この、標高33.9mの上岡山は、命山であり続けてきたでしょう。安政地震津波は、この山の西の、物部川原まで遡ってきたという碑が、八幡様境内に立ちます。
普段は神の山として尊崇され、山全体がご神体のように、大切に、むやみに立ち入ったりせんようにしてきた上岡山。しかし、津波や、物部川の氾濫のような場合、附近の皆さんは、この山に避難してきたでしょう。狭い、急な山道を登って。
高齢者が増えた現在。このようなスロープと広い階段があると、命山としての機能がキチンと果たせるようになる訳で、このような予算が取られ、工事が行われゆうことは、喜ばしい。頂上には、なにやら、ケーブルのようなものが地面から出てきちょりましたので、たぶん、電気も通すがやと思います。命山、上岡山の機能充実。
久々に書きます。海岸部、津波からの逃げ場が無いエリアに、このような命山を人工的に構築する、という命山計画、絶対に有効であると思います。空港滑走路のところにあった、標高28mの命山は、今はもうありませんが、新たに、つくるのは、それほど難しゅうないと思うがですが。戦時中、命山を人力で取り崩したがですき。重機で構築するがはそれより簡単ながやないでしょうか。