高知大学構内の招魂碑〔3599〕2013/02/21
2013年2月21日(木)晴れ!
今日は、午後から高知大学の朝倉キャンパスに用事があって行っちょりました。この時期、入試やらなにやらで忙しそうな高知大学。会議が済みまして、キャンパス内をちょっとだけ散歩。これを見に行っちょりました。招魂碑。
電車通りの、高知大学と朝倉駅の間を歩きよったら、柵の向こうの大学構内に、なにやら碑が建っちゅうがが見えます。あれは何やろう、と、思いよりました。高知大学の場所には、ご存知の通り、郷土部隊、陸軍歩兵第四十四聯隊がありましたので、それに関係する碑であるだろうとは思いよりました。
で、今日、行ってみて、招魂碑であることを確認。どうやら、大正の頃に建てられた招魂碑にかありません。連隊の施設の横に、戦没者の霊を弔い、慰める招魂碑。なるほど。今、大学の構内、目立たない場所にひっそりと建ち、若者達は、何故、そんな碑がそこにあるかは、たぶん、知らない。
ネットて見てみると、魂を招く、という字面からでしょうか、神霊スポットのような扱いになっちょりました。
この向こうに見える山は、朝倉城の城山。今の国立病院のところには陸軍病院があり、そこから南西への道路の北側は射撃場。朝倉中学のしゅっと横には、以前にもご紹介した、広い忠霊塔の広場があって、日露戦争の戦没者や、太平洋戦争までの戦没者を祀っちょります。
陸軍歩兵第四十四聯隊が設立されたのは明治29年。日清戦争の後。そして、高知出身の兵隊さんは、基本的に、歩兵第四十四聯隊に属し、日露戦争などを戦い、太平洋戦争へ。そんな、戦争の歴史があった場所、朝倉。
当時の地図を見てみると、陸軍病院、今の国立病院の東側の広大な土地が練兵場。この写真の場所から西、国立印刷局の界隈に火薬庫。
たぶん、歩兵第四十四聯隊ができるまでは、一面田んぼののどかな田園地帯。藩政期を通じて、のどかなのどかな土地やったでしょう。その前、戦国期には、その向こうの、朝倉城を本山氏が本拠とし、今にも土佐の覇者になる勢いで勢力を持っちょったがはご承知の通り。長宗我部元親軍と、凄絶な朝倉合戦がおこなわれたこは、この界隈。砦がいくつも築かれ、戦場となった場所。
戦国が終わって静かになり、太平の世をのどかに過ごし、明治になって、再び軍隊施設の場所になり、そして文教の町へ。
ここに戦争があったことを微かに伝える、そんな招魂碑。