ガリレオ衛星の謎〔3586〕2013/02/08
2013年2月8日(金)晴れ!
こないだうちから比べると、かなり冷え込んだ感のある朝。ですけんど、氷点下には至っちょりません。シビコオルほどではない。そんな冬の朝。
お月様は月齢27くらい。昨日の写真と見比べて頂ければわかりますが、一日違うと随分違うてきますね。夜明け前の東の空。地平線のしゅっと上に、エイ感じのお月様が浮かんじょります。
さて。
昨日、ガリレオの「星界の報告」のことを書きました。あれで、月や木星を観測し、コペルニクスの地動説に非常に有利な証拠を提示することになった訳です。
ところで、その、「星界の報告」は、当時のトスカーナ大公国の大公、コジモ2世に送られるかたちで執筆されちょります。前書きに、そのことがクドいばあ書かれちょります。コジモ2世は、ガリレオの教え子でもあった訳で、研究のスポンサーでもあったのでありましょうか。かの、メディチ家の当主、コジモ2世。
で、その本の中で、木星の周囲を廻る衛星、4つを発見したことを書いちゅう訳ですが、その星に、「メディチ家の星々」と名前を付けました。そこのところを転載しますね。人類は、人々の卓越したイメージを後世に伝えるため、その名を大理石に刻んだりピラミッドをつくったりしてきた、と、述べた後、こう続けます。
「しかし、大理石や金属よりいっそう確実で永続生のあるものを求めるひとは、詩神の保護の下に、つまり。不朽の文学作品に、偉大な人びとの名声を託します。ところで、人間の英知はこの地上に満足しきっていて、あえてそれを超えようとはしなかったと、どうしていえましょうか?それどころか、英知は人工的な記念物が暴力や自然の怒りや歳月によって、ついには破壊されることを十分に理解し見抜きます。そして、貪欲な時や嫉妬深い歳月もどうすることもできない、もっと滅びにくい記念物を考えだしました。こうして、天空に目をうつし、永遠に記憶されるきわめて明るい星の天球に、偉大な人びとの名をつけました。(後略)」
このように論理を展開し、星に名前をつけると、それが永遠に残り、伝えられていく、と書きます。その上で、新しい星を発見した者のみがそれに命名する権利をもち、私ガリレオが、その人物である、と述べ、木星の4つの衛星に、メディチ家の星々と名付けて、コジモ2世に捧げた、という訳です。
しかし、今、木星の衛星の名前って、そんな名前ぢゃあないですよね。いわゆるガリレオ衛星とされる4つの大きな衛星は、ご承知のとおり、イオ、エウロパ、ガニメデ、カリスト。何故でしょう。何故、ガリレオが、永遠に残ると述べたメディチ家の名前が消えてしもうたのか。あれっぱあ、永遠に残る、と、書きたくったのに。
実は、その衛星を観測したのは自分が先である、と、ドイツのシモン・マリウスという学者が主張しちゅうがです。ホントのところはどうやったかわかりません。が、そのマリウスが、4つの衛星に、イオ、エウロパ、ガニメデ、カリスト、と命名し、それが広く使われるようになったということにかありません。この4つの名前は、ゼウス、つまりユピテル、つまりジュピターの4人の愛人の名前。ですきに、まあ、ぴったりと言えばぴったり。
時の権力者にオモネッた、メディチ家の星々、などという名前より、ジュピターの愛人の名前の方が、しっくりきますきんねえ。
ガリレオは、宗教裁判で有罪になった、という話は有名。結局、自宅に幽閉され、寂しい晩年を過ごした訳です。が、死後、30年経って、フィレンツェのサンタ・クローチェ教会本堂に埋葬され、ミケランジェロの向かいに鎮座ましましちゅうそうです。