まだ開かない空港ビルの前の人々〔3522〕2012/12/06
2012年12月6日(木)雲は多いですが晴れ
この季節、昼間っからお酒を飲む機会が増えます。それは、酪農家さん関連の忘年会とかが始まるき。昨日も、弊社だけに生乳を納入してくれゆう酪農家さんだけで構成されちゅう組合の婦人部の総会、忘年会。開始時刻は正午。
婦人部の、お昼っからの会合とは言え、そこは高知。当然お酒も入ります。
何故、酪農家さんの会合、飲み会はお昼が多いのか。
それは、酪農家さんは、朝と晩は搾乳で忙しいきです。
通常、酪農家さん、一日に2度、乳搾りをします。それぞれ、時間帯はまちまちですが、基本的に朝と晩。昼間の時間は、搾乳以外の、飼料の準備とか掃除とか堆肥のこととか、そんなお仕事。で、一番自由になるのが昼間、ということで、会合や飲み会はお昼が多いのでありました。
12月は、そんな、各所の酪農組合の忘年会が続きまして、基本的には全部出席したいひまわり太郎は、自動的に真っ昼間から飲酒する機会が増えるのであります。仕方ございません。仕事ですき。と、言いながら、嬉しそうに出掛ける姿を昨日も目撃されてしまいましたが。
辛いのは、宴会終了後。昨日などは婦人部さんの会合ですき、二次会に流れたりしません。赤い顔をして街をうろつくがも恥ずかしい。しかし、酔うたんぼが会社に帰ってもマギる。自分の処遇に困ってしまう、お酒を飲んだ午後。昨日は、会社に帰って誰にもみつからん部屋に入りっぱなしでした。
で、夜、高知の市内で別の会合があったので、会社の社員さんに、市内まで車で積んで帰ってもらいました。
前段が長くなりました。そんな訳で、今朝の千葉県出張には、空港連絡バスに乗ってでかけることになったのであります。市内から高知空港までは30分くらい。ひまわり乳業から空港までは自転車でもしゅっとの距離で、自転車に乗って出張に出掛けることが多いがですが、上記のような事情で今朝は空港連絡バス。
一番時間が早い連絡バスは、空港に、6:20頃到着。
ところが。
空港ビルが開くのが、6:30。そんな訳で、ご覧のように、寒空の下、まだ扉が開かない空港ビルの前で、たくさんの善男善女が凍えもって待ちゆうのでありました。これ、どうなんでしょうかね。
6:30にならんとビルに入れんがやったら、空港に行くのが目的の空港連絡バスは、6:30くらいに着いてもらいたいもんです。
高知空港を出発する、朝一番の飛行機は、ANAもJALも7:35発の東京羽田行き。まあ、かまんですけんどね、小生は。空港ビル周辺を探索したりできますき。
夜明け前の東の空が明るみ、青く美しい、高知空港ビルの前。
そうそう。空港と言えば、震災後、何度か書いてきた「命山計画」。現在の滑走路の場所に戦前まであった、標高28.2mの「室岡山」は、過去の大津波や大洪水の歳に近隣住民の避難場所となってきた山で、地元では「命山」と呼ばれました。地図にも、その名称が残ります。海軍が飛行場を建設するのにマギって、取り崩してしもうた「命山」。
そんな「命山」を、避難場所の無い沿岸地域につくれないか。取り壊すことができた山は、つくることもできるはず。それが「命山計画」。
避難タワーや巨大堤防の話はでますが、なかなか、この、避難施設としての人工高台の話が出て来ないのは、ちょっと悔しい。と、思いよったら、高知大学の、地震防災で有名なO先生も、そしてコンクリート工学の権威にして高知の有名学識経験者であるO先生も、命山賛成論者である、ということを聞きました。心強い。
今一度、「命山計画」を、頑張ってみろうと思う、まだ開かない高知空港ビル前の朝。