思ひきや 富士の高嶺に一夜ねて 雲の上なる月を見むとは〔3513〕2012/11/27
2012年11月27日(火)晴れ!
良いお天気。今日は、朝、ちょっと仕事をしちょいて飛行機で東京。今日の空は青く澄み渡り、飛行機から富士山がキレイに見えました。
このにっこりひまわりでも、過去、何度か、飛行機から見える富士山をご紹介したことがあります。飛行機から見る富士山はまた格別。今の季節は、雪の冠り方が丁度ぼっちりで、とても富士山らしい富士山。ホントにぼっちり。
富士山が活火山である、というのは今では常識。いつ噴火を始めてもおかしゅうない活火山。しかし、我々は、学校で、富士山は休火山と習いました。どうしてなんでしょうかね。
有史以来、ビッシリギッシリ噴火を繰り返してきた富士山。で、大地震との相関関係も、あきらかに、あります。
有名なのは宝永大地震と宝永大噴火。土佐も甚大な被害をうけた宝永大地震は、宝永4年(1707年)10月4日発生。で、その49日後の12月16日、富士山は大噴火したのでありました。江戸の町にも大量の火山灰を降らせたこの大噴火で、てっぺんからの噴火ではなくて、山腹の、現在は宝永火口と呼ばれるところからの大噴火。
富士山の大噴火で有名な3つ、と言えば、この宝永大噴火と貞観大噴火と延暦大噴火。貞観6年(864年)からの大噴火では、今のあの青木ヶ原が形成されたとされます。ちなみに、その5年後に、貞観大地震が発生。三陸を襲った大地震と大津波は、富士山大噴火の5年後。
大噴火は、宝永大噴火以来おきちょりませんが、どうやら安政東海地震(安政南海地震の32時間前に発生した地震)直後に、山頂に黒雲がかかって以来、噴気活動がずうっと、それこそ昭和中期まで続きよった、という証言と記録があるそうですき、いったい誰が「休火山」などと言い出したがでしょう、まっこと。
この美しい富士山から、いつ、噴煙が立ち上ってもおかしゅうないのであります。ところで、平家物語のちょっと前の時代の歌人、西行法師に、富士山の歌がいくつかあります。このにっこりでも、ご紹介したことありますな。
西行さんは、清盛と一緒で、元北面の武士。思う所があって、突然武士であることをやめ出家した、非常に意思の強い人物。家族も捨て、安定した生活も捨てて。
風になびく 富士の煙の空にきえて 行方も知らぬ我が思いかな
東国へ修行に行く際、眺めた富士山を詠んだ歌にかありません。なかなか秀逸。で、この歌にあるように、平安末期の頃は、富士山から噴煙が立ち上りよったことがわかります。平安期、貞観大噴火の後はそれほどの大噴火こそないですが、噴火は継続的にあったよう。
元、いかつい武士。様々な思いを胸に秘め、そして熱い思いを歌に詠みこんだ西行法師。彼はやっぱし男で、ロマンチストであります。山を一人で歩くがが大好きやったと確信します。絶対そうです。
思ひきや 富士の高嶺に一夜ねて 雲の上なる月を見むとは
よくわかります。