松山の夜景ぞなもし〔3514〕2012/11/28
2012年11月28日(水)曇りぞなもし
今朝は松山。愛媛県の松山。昨日の夜の飛行機で東京から飛んできました。夜、松山空港に着いて、冷やいがにビックリしました。冷えますぞなもし。
で、今朝は4時起床、4時半から松山RUN。
道後温泉のホテルを出発、勝山通りから一番町へ。県庁の前を通り、昔の競輪場のところから松山城の山を駆け上りました。
松山城、四国で一番大きいお城ながやそうですね。確かに、高知城よりはかなり大きい。賤ヶ岳の七本槍で有名な加藤嘉明が築いたお城。伊予鉄道さんが指定管理者ながやそうです。
高知城は、かの入交グループさんが指定管理者です。そうなってから、お城を使った様々な工夫を凝らしたイベントが行われたりもするようになり、随分と良くなりました。松山城はどうなんでしょうかね。
二之丸が近年整備復元されちゅうようですが、今朝は時間が早過ぎて真っ暗。門も閉まっちょります。その横を抜け、標高132mの城山を一気に攻め上りました。とは言え、真っ暗。選んだ道がこれまた林の中の急な道。メジャーな登山道ではないのでありました。ので、灯りがまったくなく、足下、つまづいたりせんように気を付けんとけません。真っ暗な樹々の中からガサガサっと音がしたりして、たぶん猫かなにかですが、真っ暗いのでちくとオジます。
詰の段は広く、照明も点いて明るうございます。5時前というのに、数人のおんちゃんが登ってきて、大きな声で「大谷は日ハムに入るんじゃろうか」などと話しておりました。
邪魔せんように、しゅっと退散、詰の段からちょっとだけ下ったのがここ。眼下に松山の街が広がる、こじゃんと見晴らしの良い場所。一番明るい部分は勝山通り。ですき、大街道はそのもうちょっと右。大街道は、大街道と言うくらいですき、大きい街道。そのまんまですが。お城から、他の地域へ行く幹線道路。現在は愛媛で一番賑やかな繁華街で、ヒトの通行量は四国一やそうです。松山には、そんな四国一がどっしこありますね。人口が多いですき。
土佐は、一般に二十四万石と言われますが、伊予の松山藩は十五万石。伊予の国が細分化されたきでしょうか。それにしても、お城も街も、高知より大きいです。繁華街や飲み屋さ街も賑やか。まあ、それぞれに良さはありますきに。
こっから、城山を東へ下っていき、また一番町へ。そして、ことし8月22日のにっこりでご紹介した、道後鉄道の痕跡カーブを走って楽しみました。鉄道の痕跡カーブ、大好き。エイですよね。昔、勝山の交差点から小さい汽車が緩やかなカーブを描いて北上、道後へ向かいよった風景が蘇ります。
で、道後へ戻ってから石手寺へ。お参りした後、背後の大山祇神社から、山の道を通ってまた道後へモンて来ました。
最後は伊佐爾波神社という古い古い謂れの神社の石段を駆け上がり、お参りしてホテルへ。ホテルのしゅっと前は道後温泉本館ですき、営業が始まったばっかしのお風呂に入って、一日のスタート。早朝から松山を堪能しましたね、こりゃ。