横尾忠則さんもビックリ、Y字路だらけの旭天神町〔3511〕2012/11/25
2012年11月25日(日)晴れ!
良いお天気の日曜日。
今朝は、Jr.2号とRUNに出ました。最近、ちょっと、走らんといかんと思い始めちゅうJr.2号。昨夜、6km走って帰ってきました。そこで、今朝、ちくと一緒に走ろうかと誘うと喜んでついてきました。ふふ。
最初は家から鏡川沿いを西へ遡上。まあ、1km6分弱のおっそいペース。時折ちょっとペースを上げたりもしますが、お天気も良いので無理せずのったりまったり。新月橋北詰の西、観音堂は、すっかりキレイに、お堂が新しゅうなっちょりました。しばらく来てなかったのでビックリ。あの大銀杏の樹を期待して行ったがですけんど、まだ黄色うななっちょりませんでした。そう言えば、観音堂の銀杏、かなり遅かったことを思い出しました。
さて。新月橋からどっちへ走ろうかと考え、ふと思いたって、旭地区をたつくってみることにしました。せっくの機会ですき。
まずは思案橋を渡り、玉水町。この界隈の歴史的推移や、なぜ思案橋と言うのか、などといったウンチクを嬉しげに語りながら、ゆるゆるRUN。そして、街中を抜け、旭駅前から歩道橋で線路を渡って旭天神町へ。Jr.2号も感動する、旭天神町のラビリンス。戦争で焼けてないので、昔の、ヒトが自然につくりあげていったナチュラルな町並みがそのまま残る、懐かしい街。
ここは、高知の皆さんには水源地、という名前の方が通りはエイ、旭浄水場の前。この左手の方から走ってきたがですが、ここは路地が集まってくる場所で、こじゃんと複雑な地形。Jr.2号の立つところから向こうに延びる道。あそこから右手にも1本、道が延びちょります。この左手前方向にも道。
かの横尾忠則さんが、生まれ育った兵庫県西脇市の町の風景を題材に、Y字路の作品をどっさり発表しちょりますが、ここは、横尾忠則さんもビックリの町並み。複雑なY字路だらけ。
ここは、平面的に迷路のようになっちゅうだけではなく、丘の起伏も利用した立体的構造。路地をたつくると、次はどこへ出るのかわからない、そんなワクワクする街。急坂の狭い路地を駆け上り、行き止まりかと思うとその横に小さな石段。それを登ると民家の横の狭い狭い空き地を抜けて別の路地へ。
ラビリンス旭天神町を堪能して、再び旭駅前に戻り、これまた風情満点の中須賀町を抜けて戻ってきました。
お天気の良い連休。普段はメッソ観光客さんの姿もない、寺田寅彦さんの生家や、大川筋の武家屋敷にも観光客さんがいらっしゃっておったのが嬉しかったです。
途中、取り壊された植木枝盛さんの家の跡の前を通ってきました。ついこないだまで、奇跡のように残っちょった、かの植木枝盛さんが住んで「東洋大日本国国憲按」を書き上げた家。戦後、現在の日本国憲法がつくられる際、この私擬憲法が参考にされた、というのは、かなり信憑性の高い話。
そんな、こないだまで残っちょった植木枝盛さんの家の跡は、なんと、畑になっちょりました。西半分は月極駐車場。畑と駐車場。あの、植木枝盛さんが住み、仕事をした家が。