石灰運搬用ロープウェイ痕跡探索RUN〔3510〕2012/11/24
2012年11月24日(土)晴れ
昨日のにっこりでフツフツと沸き上がってきたものを抑えることができず、結局、今朝は南嶺、石灰運搬用ロープウェイ痕跡探索RUNとなってしまいました。と、申しますのも、Facebookで、貴重かつ重要な情報を種々頂戴したき、こりゃあ検証してみんといかん、と考えた秋の朝。
まず、同級生のタベシマ君からの情報で、昔、孕の同級生の酒屋の裏手に、使わんなったロープウェイの残骸がホタクラレちょった、というのがありましたので、まずは家から孕まで走り、酒屋裏手界隈を徘徊してみました。う〜ん、それらしきものは無い。丸い錆びた金属製のオブジェが土に埋まっちょったので、一応、写真には撮ってきました。さて。
次は、そっから西進し、宇津野峠への登山道を登りました。そして、途中から、四国電力さんの鉄塔No.38へ。何も無さそう。ちょっと林の中を徘徊してみろう。すると、何と、昨日のにっこりでご紹介したのとまったく同じように、四角いコンクリートが4つ並んじゅうではありませんか。樹々の中ですき、ちょっと気付かんような場所。おう。これは、何か関係あるかも知れん、と、胸が膨らみます。
まあ、電力さんの鉄塔、何回かは立て替えられちゅう訳で、以前の電力鉄塔の痕跡という可能性も強そうですけんど、この際気にしません。
さあ、次へ行こう、という訳で登山道から逸れ、電力さんの鉄塔を求めて薮漕ぎヤブコギ。視界は開けちょりませんけんど、道自体は、電力さんの保守が行き届いちょって草も生えちょらず走りやすい。そんな山道を、しかし、電力社員さん以外はまず通ることもなかろう急な山道を、フウフウゼエゼエいいもって駆け下りたり駆け上がったり。いくつかの鉄塔を探索しました。
しかし。
途中の道沿いに四角いコンクリートのオブジェを2個発見したくらいで、あとは目ぼしい発見もなく、宇津野山の尾根へ到着。仕方ないので、こないだとおんなじように縦走。宇津野山頂から鷲尾山頂を一気に駆け抜けました。そして今日は烏帽子山へ駆け上ります。この頂上手前の坂はなかなかキツいですけんど、山を駆け上るがに慣れてきたひまわり太郎にとっては、ちょうどボッチリの負荷で心地良かったです。
てっぺんには石鎚神社さんが鎮座。ご高齢の女性が一人で登ってきちょりました。筆山から上がってきて、今からまた帰らんといかんがよね、と話しかけてこられました。ホントは柏尾山まで行ってきたいがやけんど、1時までに一宮の家に帰って、亭主にご飯をつくっちゃらんといかんがよね。子供やないがやき、ひっとりでも食べれるろうけんどねえ、というお話でした。ご家庭の風景が目に浮かびます。
さて、テレビ高知さんのテレビ塔の下を抜けて車道を下っておおなろ園へ。施設が新築になって、キレイになっちょりました。
そして遂に。
おおなろ園から車道を治国谷の方へ下っていきよって、別の方からFBでご教示頂いた、そのロープウェイの痕跡らしきオブジェを左手に発見!すごい!
故あって、どうやってこの写真を撮ったかはお話できませんが、とにかく、痕跡研究家のひまわり太郎としましては、近くで観察してみんといかん訳で、近くに寄って撮影したががこの写真。真下から見上げてみました。
かなり大きい構築物。コンクリートでできちょります。あの上までは6〜7mくらいはありそう。内部には、こっちからは入れんなっちょりました。あの上にも登れるようにはなっちょらんがが残念。
こっから西、そして南へ下っていくと、治国谷。ネットで調べてみますれば、昭和29年2月1日現在の、高知県の鉱種別鉱業事業所の一覧表がでてきました。その表の中に、石灰石の事業所として、「日本セメント株式会社治国谷」というのがあります。従業員71名。高知市神田。この事業所が、当時としては長大なロープウェイを敷設し、運営しよったがでしょうか。そして、このオブジェがその痕跡ながでしょうか。そう考えると、この風景もなかなか感慨深いものがあります。
タベシマ君の、治国谷に、発着点の柱みたいながが残っちゅうという情報も、このオブジェのことでしょうか。
ひょっと、もっと下にあるがかも知れんと思うて、神田トンネルの南口からずうっと南へ下ってみましたが、それらしいものは発見できませんでした。
で、また神田トンネルに戻り、トンネルを抜け、神田へ一気に駆け下りた、石灰運搬用ロープウェイ痕跡探索RUN。秋の朝っぱらから有意義なRUN。