目黒は海から近かった〔3503〕2012/11/17
2012年11月17日(土)雨
今朝は、しっかりした勢いの雨。そんなに冷たい雨ではありません。
昨日の夕方、高知へモンて来ました。2泊の出張ですけんど、エラい久し振りみたいな感じがしました。移動距離が長かったきでしょうねえ。やっぱし高知はくつろぎます。
昨日は、早朝の目黒不動尊をご紹介しました。で、五反田、目黒界隈の地形と都市の形成について考察したがはご承知の通り。
目黒と言えば「目黒のさんま」。
目黒方面へ鷹狩りに行ったお殿様が、そこで腹が減ってやむにやまれず食べたサンマが美味しく、後日、家臣にサンマを所望するも、脂や骨を取り除いたおいしくないサンマが出されました。「これはどこのサンマか?」と聞いたところ、家臣が「日本橋の魚河岸でございます」と答えたので「サンマは目黒にかぎる」というがが下げ。いや、ここに書くまでもないですけんど。
で、目黒の位置ですが、何となく、鷹狩りをする、海から遠い場所、てなイメージがありました。ありますよね。そんな、海から遠いところのサンマが美味しいとは、おかしいやないか。というイメージ。ところが、目黒不動尊界隈、昨日走ってみた限りでは、メッソ遠くない。いや、むしろ、近いと言うたちかまんばあの距離。目黒川の河口が品川で、五反田からはしゅっと。五反田から目黒不動尊までは2kmもありませんき。
場合によっては、目黒川を遡上してくるサンマもおったかも知れん、というばあ
海に近い目黒。
当時の「目黒」は、江戸の南西方面の広大な土地のことを言うた、という話もあります。まあ、「日本橋」=高級、というイメージと対比させるために目黒を登場させた、ということながでしょうか。
話はかわりますが、昨日の目黒不動尊もそうですが、日本の神社仏閣は、山際や山腹に鎮座するケースが非常に多い、とビッシリ書いてきました。キリスト教などの教会のように都市の中心部ではなく、周縁部。これはもちろん自然崇拝と結びついちゅう訳ですが、それにしてもかなり特徴的ではあります。
都市の場合、目黒不動尊などのように周縁部の山際、または周縁部の水辺に大きな宗教施設があり、その下に門前の街、バザールが形成されていき、繁華街となる、というパターンが多いようです。
都市ではなく、田舎の場合でも、宗教施設は集落中心ではなく周縁部の山際などに多いようです。そこにバザールが形成されるほどではなくても、縁日などには賑やかな露店や興行、奉納相撲などが行われよりました。
ここは今朝、5時前の野市、上岡八幡宮参道。正面の、石段を登った明るいところが社殿。その奥に本殿。
上岡山の斜面に鎮座まします上岡八幡宮。日本の宗教施設の典型的有り様。
山や水辺に神がおわしまし、集落を鎮護してくれる。その前で、縁日を開き、奉納相撲をし、地域のコミュニティの絆を深めていく。こうやって、我々は長い年月を過ごしてきました。