南嶺、今昔〔3504〕2012/11/18
2012年11月18日(日)良いお天気
昨日の雨が嘘のように良いお天気の日曜日。すばらしい気候の日曜日。皆さん、それぞれ良い日曜日をお過ごしのことと存じます。
小生、お昼から色々と用事がございますので、朝、山を走りに行っちょりました。時間の関係で、今週も南嶺。
家を走り出て、筆山、高見山のてっぺんを経由して、鷲尾山へ。子供の頃から慣れ親しんだ、山道。先週も書きましたが、例えば高見山と土佐塾高校の山の間の道の脇には、気を付けてみて見ると、たくさんの立派な石垣が見えます。現在は、痩せた杉の木や、竹林。ですけんど、この石垣が、曾てはそこが棚田か段々畑であったことを教えてくれます。先週もご紹介したように、国土地理院の国土変遷アーカイブを見ると、すごい。この、1952年(昭和27年)に米軍が撮影した航空写真などを見ると、もう、一面の農地であったことがわかります。
それがいつしか、杉林か竹林になって、鬱蒼とした森の中に埋もれてしもうたのでありました。
思い出しました。小学生の頃、鷲尾山登山は慣れたもんで、友人達と、通常のルートから外れた道を探検したりしよりました。高見山から南中山を越えたこともありました。その際、もちろん薮漕ぎで、道の無い、薮だらけの斜面を歩いた訳ですが、石垣があちこちにあって、登ったり下ったりするがに苦労しました。そう。当時から、もう、農地は廃れていきよったがでしょう。現在の土佐塾高校の貯水池になっちゅう所に、茶畑があったくらいの記憶しかありません。あと、高見山の山羊牧場と。
今朝は、早かったせいもあるでしょう、山歩きの団体さんには逢いませんでした。ほとんどが、男性の一人歩き。男性は、一人で歩くがが好きのようで、女性は、連れこって、賑やかに喋りながら歩くがが好きなようですね。梅棹忠夫先生ではないですが、山歩きの男女生態史観、というやつです。生態が違いますね、男性と女性では。
今、身近に登れる山は、圧倒的に女性が多い世界です。三嶺くらいの、登りに4時間かかるような山でも、圧倒的に女性。一人歩きは少なく、グループですき、それはそれは賑やかやったりします。そんな団体さんに、男性が一人くらいくっついて行きゆうケースも多いですね。なかなか大変。
早朝の南嶺は、お手軽コースということもあって、身軽な格好の男性の一人歩きが目立ちました。男は、一人で、大自然に抱かれたいのであります。のかな?
写真は、鷲尾山頂。
浦戸湾と太平洋が美しい、朝の鷲尾山頂。戦争中は陸軍の高射砲が設置されちょった跡や、国旗掲揚台などが残る鷲尾山頂。南はこのように見晴らし抜群ですが、北側は樹々に遮られて見えません。あれを伐ってもらえたら、360度、ものすごいパノラマになります。昔はそうでしたき。