御馭初の風景を、今のうちに想像しちょきましょう〔3478〕2012/10/23
2012年10月23日(火)降ったりやんだり
昨日の夕方から今朝にかけて、結構降りました。今日は晴れることになっちょりますが、夜明け前は、まだちくと雨も残っちょります。
ここは、午前4時過ぎの県庁前。電車通りの交差点、南西から北東を向いて撮影してみました。シャッタースピードを遅うしちょりまして、ひまわり太郎が、ハリーポッターのおばけみたいに写っちょります。これは私です。
随分前、2004年8月20日のにっこりで、ここにあったビルのことを説明しちょります。電気ビル。四国電力さんのビルで、通称電気ビル。この名称もなかなかのモンで、子供の頃、あのビルには電気がいっぱいで、入ったらビリビリする、とか思いませんでしたか?
その電気ビル、現在、立て替え工事中。丁度正面に見える、白いフェンスで囲まれた部分。来春にはもう完成という話ですが、ホントでしょうか、速いですねえ、建てるがは。そうしますと、ここに建物が無い風景を見れるのはもうちょっと、ということになります。
この場所には、藩政期を通じて、藩の重臣、深尾さんの屋敷がありました。藩政期の最初っからあったにかありません。そして明治維新まで。城下の住宅図を見ると、藩政期の間、かなり頻繁に持ち主が入れ替わっちゅうことがわかります。保守的な時代と思われがちですけんど、家門の盛衰は激しいものがあったことが、それでよくわかります。
しかし深尾家。この、筆頭家老の家系は、藩政期を通じて勢威を保っちょりまして、もう、ダントツ。山内家にとって、なくてはならない深尾家。
深尾家にも色々ありますが、そこの電気ビルのところにあった深尾家屋敷には、望櫓があったそうです。塔のように立てられた櫓。そこに、毎年正月11日、山内の殿様がやって来ました。「御馭初(おのりぞめ)」を観る為。
御馭初は、土佐藩の種々の行事のなかでも、最重要行事のひとつに位置付けられるもの。
まず、家臣たちは、自分の馬を引き連れて升形に集合。升形は、升の形の広場で、軍事的な意味合いの施設ですが、高知の城下の升形の主たる役割は、この御馭初の集合場所やったにかありません。
で、家臣は、そこの櫓におわします殿様に謁見した後、現在のグランド通、前は「乗出」と言いよったところから馬を乗り出し、約800m、堀詰まで一騎づつ、駆け抜ける訳です。で、グランド通という電停は、以前は、乗出(のりだし)という電停でした。この御馭初、キチンと、武士としての修練をしゆうかどうか確認する意味合いもあったがでしょう。そして武士にとっては、年に一度の武士らしいところを見せる晴れの場でございました。
山内一豊さんが、名馬によって出世した、というあまりにも有名な話が土佐藩にはあったので、その御馭初には特別な意味合いもあったがでしょうねえ。
そして、藩にとっては、閲兵式。重要な軍事行事。
最初は上士だけしか参加を認められちゃあせんかったがですが、慶安2年(1649年)から郷士も参加を認められ、郷士にとっては特に晴れがましいイベントであったことがわかります。明治4年まで続けられた、という御馭初。
今、建物が無いなっちゅうその場所にあった望櫓。そこから、この通りを西から東へ駆け抜ける騎馬武者。デカいビルが建つと、そんな風景も想像しにくいことになります。今のうちに、たっぷりと眺め、想像しちょきます。