命山、上岡山への避難ルートが整備されちょります〔3477〕2012/10/22
2012年10月22日(月)良いお天気です
快晴。良いお天気の月曜日の朝。冷涼にして爽やかな風が吹く朝。
今朝は、夜が明けてから、いつもの野市、上岡八幡宮へ。お参りの後、久々に、本殿脇からの山道を登って頂上へ。前回登ったがは2009年2月19日の朝。標高33.9mの上岡山は、当時は、鬱蒼とした山でした。
真冬やったがですが、枯れ枝や樹々が多く、なかなか登りにくかったことを覚えちょります。が、今回登ってみると、様相は一変しちょりました。登山道は広く切り拓かれ、途中にも広いスペースがとられ、頂上へのルートも複数。そして、一番変わっちょったのは、頂上の広さ。奥行10m、幅5mくらいのスペースが、平なスペースになっちゅうがです。これは、もちろん、南海地震対策でしょう。
前回と同じと思われる場所から、同じ方向を撮影したのがこの写真。眼前の樹々が伐られ、一段下にもちょっとしたスペースが確保されちゅうががわかります。
そう言えば、今年のお正月にここへ初詣に来た際、拝殿の中で氏子さんたちが集まって相談事をしよりました。この山の高さがこれっぱあやき、どうするこうする、みたいな話が、参拝するひまわり太郎の耳にも入ってきました。あの寄り合いで、この地区の、津波からの避難対策が検討されよったがでしょう。そして、麓から頂上までの山道を、ご高齢の方でも登れるように広く平らにし、たくさんのヒトが逃げて来れるような広いスペースを確保するようにしたがでしょう。見違えました。こうやって、地元の皆さんの智恵と努力で、対策が進められゆうがを見ると、ホントに頭が下がります。
昨日の高新に、今回の大震災でも、神社仏閣の多くが津波の被災を免れちゅう、という記事が載っちょりました。長い長い年月の間に、何度か津波に襲われ、津波に襲われんかった場所へと移転を繰り返した古いお宮さんが多いのではないか、と考えられちょります。
元々、日本は、宗教施設に対する考え方が欧州、中東と違います。キリスト教の教会や、イスラム教のモスクは、町の中心部につくられ、その前の広場が市民のコミュニティの中心となってきました。大都市でも、小さい町でも、基本的にそんなつくりになっちょりますよね。ところが日本では、神社とかは町外れの山裾などにつくられることが多い。そして、そこに、門前の賑わいやコミュニティが形成されていく。
ここ上岡八幡宮さんも例外ではなく、集落の周縁部の山に鎮座。山自体がご神体と考えられ、そして、いざというときの「命山」として機能してきた訳です。昨日の高新の記事でも、高知市周辺の津波高予想と神社仏閣の立地を検証しちょりますが、まさに、そのことが証明されちょります。神社への信仰は、元々、自然崇拝から来ちょりますので、平地部や街中ではなく、周縁の自然の多い場所へ立地されることになったのでしょうか。
いずれにしても、何百年もの樹齢をもつような鎮守の樹々に守られたお宮さんとかには、安心感があります。少なくとも何百年かは、津波に襲われてない、ということですき。古い由緒をもつ神社仏閣は、津波避難の、重要な参考値。そして、そこへの避難ルートを整備することは、まず、我々ができる、重要な対策。早速実施された、地元の皆さんに敬意を表します。