五台山の伊達兵部、柴田町の柴田外記、土佐と仙台の絡み合う歴史〔3473〕2012/10/18
2012年10月18日(木)曇っちょります
今日は高知。昨日の、東京からの最終便でモンてきました。高知空港に着いたのは夜の9時前で、もう、雨はあがっちょりました。昨日の高知は、かなりガイな雨が降ったということですけんど、一昨日の午後に出発して昨夜モンてきた小生、全然雨に降られいで済みました。飛行機は結構揺れましたが。
仙台在住の方と、色々とお話をしよりましたが、やはり震災のことが話題になります。ただ、仙台市内は、実に景気が良いということ。繁華街の国分町界隈は、非常に賑わいゆうそうです。復興にかかる公共事業が増え、県外からも工事関係者などが一時的に流入して、かなりの繁華な状態になっちゅうそうです。少し海の方へ行くと、ガレキが積み上げられたままの土地もあり、地域によって随分と状況が違いますね。
阪神大震災の後の、復興に際しての問題点等をまとめた報告書を読みました。今次の震災復興の参考に、と、まとめられたもの。様々な問題がありますが、難しいのは、地域にあった、まとまりや商店街などの復興。阪神の際も、大手の、資本力のある商業施設がいち早く復旧して地位を固めたのに対し、建物などは再興したものの商店街としては成り立たなくなった地域が多かった、という報告があります。それを読んで、今回の震災後の商業活動の状況を見ると、なるほど、既存の大型店舗の復興も早ければ、今までなかった大手商業施設が素早く建ちました。地域のコミュニティや商店街の活力は、どうなっていっているのか、どうなっていくのか、気になるところ。
さて、話は変わりまして、仙台と高知との関係。例えば、仙台を代表する作家、土井晩翠さんの奥さんは、高知の出身で、第一高女の卒業生、という話も以前書きました。が、やはり、濃い関係で申しますれば、伊達騒動でしょう。
17世紀後半、仙台藩で勃発したお家騒動。まかり間違えば、お取りつぶしになりかねんかった大騒動が、いわゆる「伊達騒動」。
その主要登場人物の中に、大老酒井忠清邸で原田甲斐と斬り合いになって亡くなった柴田外記さんが居ります。この人物、以前にもこのにっこりで書きましたが、長宗我部元親さんの、実の孫。大阪の陣で敗走中に、伊達軍に拾われ、重臣柴田家の養子になって活躍した、柴田外記さん。数奇といえば数奇過ぎる人生。
仙台から南へいくと、柴田町という町があります。そこの山に、柴田外記さんの供養塔が建てられちょります。2008年1月26日、ひまわり太郎は、そこへ行って供養して参りました。その供養塔には、他の家紋といっしょに、長宗我部家の七つ酢漿草の家紋が刻まれちょりました。土佐との関係が、ここに残されちょります。
もう一人。伊達騒動の主要人物の一人、伊達兵部さんは事件後土佐に流され、土佐で終生を過ごしました。この五台山に、今も眠ります。伊達騒動と土佐は、微妙に絡み合います。
写真は、五台山の登り口。この案内板を見て、伊達兵部さんなる人物がいったいこったい誰なのか、不思議に思いゆう高知県人も多いがやないですろうか。仙台藩、伊達政宗の十男にして伊達騒動の片方の主役、伊達兵部さんの墓所が、この上にあるのであります。
伊達騒動を題材にした小説「樅の木は残った」は、昭和45年のNHKの大河ドラマになりました。当時は、こんな、全国大衆に知れ渡っちゅう訳でもない事件が、大河の題材になりよった時代。今ほど、視聴率を気にしやあせんかった時代。却って、深く、興味深いドラマを、大河で観ることができよった時代。